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生方美久はもう"silentの脚本家"ではない。初回から想像を超えた『いちばん好きな花』


純粋に、生方美久という人は達眼の持ち主なんだろうなと二作品をとおして確信した。


昨年の全く同じこの時期、 私が愛した『silent』を手がけたプロデューサー・村瀬氏と脚本家・生方氏との再タッグで送り出されるということで、凄く待ち遠しかった『いちばん好きな花』


村瀬氏や生方氏のインタビューやプロモーションを見る限りは、「男女の友情は成立するのか」というテーマを掲げているドラマだと謳っていた。


それに主演四人も昨今のドラマで何度もお目にかかってきた華々しいメンバーだ。なんとなく、曖昧な関係性の四人が“恋愛”と“友情”の狭間であっちこっちと揺れ動くラブストーリー的な展開なのかなと予想していた。


でも『silent』を世に叩き出したあのタッグがそんな単純な男女の恋愛模様を描くわけはなく、「男女の友情は成立するのか」から一層も二層も深みある作品になりそうな期待を初回から私たちに与えた。

坂本裕二脚本の『カルテット』を彷彿とさせるような“クアトロ主演”が見どころの本作だが、全員が集うシーンでは四者それぞれに「二人組」という関係性に対してエピソードがあり、幼少期からの思いを打ち明けていた。


初回は多部未華子演じる潮ゆくえの描写がとりわけ印象的だった。


彼女のナレーションは秀逸で、思い出せばキリがないほどの名言揃いだったように思う。
誰かの心にそっとしまわれていた苦い記憶を蘇らせ、痛い部分を刺す名言が随所に散りばめられていた。


「昔から、二人組を作るのが苦手だった」。

『いちばん好きな花』より引用


「自分も苦手だった」と共感した人はきっと少なくない。私自身も「好きな人と2人組をつくってください」が死ぬほど苦手だった。




選ぶというのも、選ばれるというのも幼ながらに怖くてたまらなかったあの時の記憶が無理やり呼び起こされて抉られた気分になった。


隣の席の人と無条件に組ませてくれれば、選ぶも選ばれるもなく平穏に過ごせるのに。

そんな幼い頃から「二人組」が苦手で、人と本心で向き合えないゆくえには、唯一心置きなく関われる友人に仲野太賀演じる赤田がいた。


でも赤田の婚約者が、異性とカラオケに行くのには抵抗があるという価値観を持っていたことで二人は"別れる"ことになる。自分はしょうもないと思いながらも婚約者の価値観を馬鹿にせず、彼女の常識て正義だからと寄り添った赤田は本当に真っ直ぐなやつだ。



でも、ゆくえの「常識」はどうなってしまうんだろう。男とか女とかいう以前に、一人の人としてゆくえと赤田はこれまで関係性や信頼を築いてきたのだ。
その二人の関係を、 「ゆくえさんは女の子だから」という理由だけで切り捨ててしまえるのだろうか。


二人というのは難しい
あらゆる人数の中で二人というのは特殊で
二人である人たちには理由や意味が必要になる
二人は一人より残酷
二人は一人いなくなった途端一人になる
元々一人だった時より確実に孤独な一人になる
二人は強いに決まってる
一人の人間は二人の人間がいないと生まれない
逆に三人以上の複数人というのは一人の集合体でしかない
個々の価値は二人の時が間違いなく、いちばん強い

『いちばん好きな花』一話引用




そうか。「二人組」っていうのは、意味や理由が必要な特別な関係性だから、自信がもてなくて上手く作れなかったんだ。


その意味や理由は正当で確固たるものじゃないとダメで、双方が共通していないと「二人組」は成立しないんだ。
一人とか大勢とかみたいに“なんとなく”じゃ絶対なれなくて、高度なことだったんだ。「二人組」になるのって。


このドラマを観て初めて、「二人組を作る」という行為に対して抱いていた苦手意識や怖さみたいのものが顕在化されたように思う。


ゆくえと赤田の"別れ"はそんな気が付きたくなかった真実を目の当たりにさせた。



なぜ生方氏の言い回しや描写はこんなにも鋭く、「刺さってしんどい」のだろう。各インタビューにおいて彼女は、一貫して“主人公の半径5メートル以内のリアルな人間模様を切り取りたい”と語っている。


メインキャラはみんな優しくて他人思いで、自分の言動を悔やんで省みる人たちですが、そんないい人でも人間関係のことになるとちょっと間違えてしまうのが人間味です。見ていてその“間違い”にモヤモヤした方もいると思いますが、そのモヤモヤこそが人間関係のリアルだと思っていただきたいです。


『silent』でも本作でも、華やかではない人と人同士の対話や、一人ひとり懸命に生きているのに生じてしまう“ズレ”をこの脚本家は見事に描く。


以前までは自分が経験しえないような、キラキラドキドキの世界をドラマには期待していたけれど、多様な選択肢や生用意された現代を生きる自分は、非日常体験というよりは、限りなく日常に近い普遍的な、自分でない誰かの人生の追体験、みたいなのを求めるようになった。


私の場合、演出や映像に関して日本のものが好きというよりも、日本語が好きということに尽きます。ドラマや映画の中に、日本語ならではの言葉の美しさやあやうさ、言葉遊びのできる面白さが盛り込まれていると、とても惹かれますね。だから、言語や文化が異なる時点で、海外の作品と比較したり優劣をつけたりするのは難しいです。


と語っているところからも、彼女が日本語の紡ぎ方を重要視していることが窺える。

日本語がもつ独特かつ絶妙なニュアンスを誰よりも意識しているからこそ、「あぁ、わかるなあこの気持ち。」と「大多数」からこぼれ落ちてしまうような人や心情を掬い、共感を得る所以なのだろう。


また、神尾楓珠演じる佐藤紅葉は、異性とではないけれど「誰かの一番にはなれない」、つまり「二人組の相手には選ばれない」寂しさに葛藤していた。


「昔から、一対一で向き合ってくれる人がいなかった」

「いちばん好きな花」より引用




誰かに選んで欲しくて、必要とされたくて幹事を買ってでる。でも、誰かの「いい人」でしかなくて都合よく消費される。
みんなに合わせて、嫌われないように細心の注意を払っているのに、わがままだって言わないようにしているのに誰からも選ばれない。「良い人」になったって「都合いい人」か「調子いい人」にしかならないと分かっているのに、それ以外のやり方がどうにも出来ない。

この苦しみも、どうしようもない程分かってしまう。

やっぱり生方氏の、「キラキラしてない部分の日常」の切り取り方には脱帽だ。言語化できず、自分だけなのだろうかと疎外感を覚えてしまうような"モヤモヤ"を、どうしてここまで「分かるなあ...」に昇華させられるんだろう。

「silentの脚本家」という肩書きや昨年のヒットを経ての期待など、色々なものを背負ってプレッシャーもあったことだろう。
でもそんな余計な懸念を跳ね除けんばかりの生方ワールドを、初回から展開してきた。
「男女の友情は成立するのか」という主テーマから、「二人」という特異な関係性についてどんな角度で切り込んでくるのか。生方氏の紡ぐ"言葉"や人と人との"日常の対話"にまた没入できる数ヶ月が楽しみだ。





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