母ちゃんのフラフープ
5月末の正式発売日直前に、書店で見かけ、気になっていたので買って読んでみた。色々思うところがあり、やっと感想文を書くことにした。
著者本人の生い立ち、キャリアにも触れる中で、お母さんとの関係も変わっていく。一緒に暮らしてきた故郷から、夢を追うために都会に出る息子。
さまざまな苦労を重ねて、成功し、新たな家族を築く中で、お母さんの病気がわかって・・・という内容。
病気の再発が発覚した後、余命宣告を受けたお母さんは「延命処置はしない」「もう手術はしない」という意思表明をしていた。
著者が書いている通り、お母さんは元看護師で、いろんな現場を見ていたこそ、そのような選択をしたのだろうと推測してしまう。
お母さんには、家族の「生きてほしい」という気持ちに反するジレンマも、きっとあっただろうけど、家族は最終的に、お母さん本人の意思を受け入れる事になる。
お母さんの臨終の後、ほとんど処分が必要な遺品は残っていなかったという。お母さんはエンディングノートなど自分の死に向けた準備(片付けなど)をしっかりしていていて、家族に迷惑をかけない事、そして自分の希望を両立させたのは凄いとしか言いようがない。
本に書かれるような死ぬ準備をここまで行うことは難しいとは思うけど、遺書、もしくはそれに近いものを残すことで、家族に思いを伝えることが可能になる。
仮に遺書の形でなくても思いを伝えることができれば、という想いから、著者は想いを残すための遺書動画サービスを考え、ローンチしていく。
上記リンクにも書かれている下記の文。
親が死ぬのはずっと先のことだと思っていた。だけど、その日は容赦なく訪れる。そのときどんなお別れができるだろう?
私も一人暮らしを始めて10年になるけれど、両親が歳をとってきているんだなあ、と実感するシーンが増えた。これから介護だけでなく、看取りということも経験するんだ、と思うと怖くなった。
実際に著者も、本の冒頭でこんなことを書いている。
誰もがそうだとは言わないが、親とは二回、別れがある。一度目の別れは、子供が実家を出て行くとき。二度目の別れは、親がこの世から出て行くときだ。そして願わくは、二度目の別れはずっと先送りしておきたいけれど。
だから、この本を読んだ後の感想を書くのも筆が進まなかったのだと思う。
いつか起こる別れに対して、私は準備ができていないけど、これから準備を進めていかないといけないのかな。下記の言葉もいつか身にしみるときが来るのかもしれないけど。
母ちゃんが僕に教えてくれた。死を考えることは、生きることだと。
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