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焦げた魚が虹色になるまで

我が家の夕飯は、家族そろってテーブルを囲む。両親と、食べ盛りの兄が二人に末っ子のわたし。
食卓に並ぶ料理はどれも美味しかった。ハンバーグに金平ごぼう、麻婆豆腐、小松菜の味噌汁、それからバターたっぷりのたらこスパゲティ…
コーヒーが飲めるようになってからは、朝食にカフェオレを淹れてくれることが多かった。まん丸と太ったスープカップに並々と注がれたそれは、母が作ってくれるものの中でも格別だった。
ヘルニアで母が入院したときには、代わりに父が台所に立った。切って茹でるだけの鍋やカレー、スーパーで買ってきたお惣菜。近所のママ友が差し入れしてくれた煮物が、食卓を彩る。
お見舞いの時に渡されたカフェオレのレシピは、わたしが作るとちょっと微妙な、どこか惜しい味になった。

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「うちにあるものを、どれかひとつ持って行っていいよ」

今年のはじめ、結婚して家を出るわたしに母が言った。
それならと、包丁がほしいと言おうかと思ったが、少し考えてからやめた。実家の包丁はすっかり母の手に馴染んでいて、わたしにはどうもフィットしない。仮に安くて切れ味はいまいちだったとしても、一人暮らしの折に買ったIK●Aの包丁のほうが、いくぶん自分の手に馴染んだ。なんでもいいよと言ってくれたが、包丁ってたぶん、ワンオーナー制なのだ。
少し趣向を変えて『芥川龍之介全集』をねだってみようかと思ったが、これは父が極貧学生時代にバイト代で買ったものだと聞くし、やめておこう。
じゃあ何にしようかと、荷作りをしながら数日悩んだ。できればかさ張らなくて、かつ実用的で末永く使えるものがいい。

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引っ越しの日の朝、わたしは一匹の魚を手にしていた。

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こんがりと焼き色のついた、魚をかたどった鍋敷だ。
焼杉と呼ばれる手法が施されているため、全体に茶色味がかった風貌をしている。この加工をすることで、板の劣化を遅らせることができるのだという。鍋敷にしてはがっしりと分厚く、だけど杉特有の軽さがある。身体に流れる木目には淀みがなく、一枚の板から切り出されていることが分かった。きっと元は、たいそう立派な木だったに違いない。というのも、わたしの記憶がある頃にはすでに、この魚は我が家に住み着いていたからだ。いつどこで買ってきたのかも分からない。だれも覚えていないのだ。家族の記憶を辿ってみたけれど、どう少なく見積もっても20年以上いるのは間違いなかった。それなのに、ヒビひとつ入っていない。

よくよく見てみると、ところどころに焦げて色が濃くなっている箇所や、まあるく角がとれている部分もある。子どものいたずら書きみたいなものも残っていて、消そうとした母の努力も垣間見えるから、おもしろい。触れてみると、滑らかさの中にも木目の凹凸をしっかりと感じる。いくぶん小ぶりなため、大きな鍋を乗せるにはちょっと申し訳ないサイズ感だ。兄たちが食欲モンスターに変身する前までは、鍋をするにもこれで十分だった。
わたしたち兄妹が成長するに連れて出番が少なくなっていったけれど、場所をとらない分、台所には常にその姿があった。ある時は食卓の中心に、またある時はゆらゆらと台所を游ぎ回る、焦げた魚。空洞に人差し指を出したり入れたりしながら、やたらに目の周りだけが丸く削れていることに気づく。
お母さん、これがいい。このこを連れていきたい。母はゆっくりと首を振った。

—それは、だめ。

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え〜、なんでもいいよって言ったじゃん!でも、それはだめ。かわいいから。そうだ包丁あげようか?あなたに上げたらお母さん、新しいのを買おうかしら…うふふ。
いや包丁は自分のがあるから、いいんだけどさ…。たしかにこの魚、すごくかわいいもんなぁ…顎のしゃくれ具合とか特に絶妙だし、渋い色も食卓の雰囲気を壊さなくていいし…はぁ…。諦めきれなかったわたしは、そそくさとネット検索を始めた。けっこうちゃんとした作りだから、買うには高いかもしれない。お札1枚。5000円を超えていたら大人しく諦めて、芥川龍之介全集の3巻だけをこっそり車に積み込もう。ブックカバーだけ残して元通り本棚に並べておけば、たぶんバレない。

「魚_鍋敷き」で調べてみると、案外すぐに見つかった。
萬洋の、木製魚敷板。商品名がすべて漢字で厳めしいが、写真の中には我が家の鍋敷とそっくりな愛らしい魚が1匹、静かに横たわっている。シリーズなのか、他にも牛や兎をモチーフにしたものがあったが、虚空の目玉が二つ覗いていてなんだか恐ろしかった。
価格は想像よりずいぶんと低くて、送料込みで1000円もしない。量産品なのだろうか。あんなに恋焦がれた鍋敷が、まさかこんな破格で売られているとは。お母さんケチだなぁ…と束の間ふて腐れたものの、でもこれって金額の問題ではないのだと、思い直した。
母が「ダメ」だと言ったのも、わたしがこの魚を欲しいと請うたのも、きっと同じ理由だから。家族で食卓を囲んだ芳しい思い出と、一緒にいたかったのだ。故郷を遠く離れた婚家で、心の拠り所となる何かが欲しくて。でも母から思い出を取り上げてしまうのはとても忍びないから、わたしはネットショッピングのお魚で満足することにした。

異邦の地で出会った運命の一品、いわくつきの骨董品、せっかく連れて行くのなら、どこか特別なものをと、思いを馳せていたけれど。量産品だろうが一品ものだろうが、これから大事に育てていけば良いじゃないか。だからお願い、綺麗に揺蕩うその鱗に、わたしたちの思い出を、こっそり仕舞わせてね。

いつか子どもができて大きくなったら、言ってやろう。「そのお魚はダメよ、うふふ…」て。その頃にはきっと、美味しいカフェオレを作れるようになっているはずだ。

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息を吸って、吐きます。