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走り去るリスの名前を必死に呼んでいた

夜驚症と呼ぶそうだ。睡眠中に突然、恐怖、興奮した表情で悲鳴のような声を上げて覚醒してしまう病気のことである。自分もまさに当てはまる。

近藤聡乃のエッセイ『不思議というには地味な話』に、ふだんは完全熟睡派の著者が人生で一度だけ、睡眠中に大声で叫んで飛び起きた体験を語っている。

中学生の時に一度だけ大声で叫びながら目覚めたことがあります。(走り去るリスの名前を必死に呼んでいた)。大声の途中で目が覚めて、声のはじめの方は夢の中、終わりの方は現実だったのを喉の感覚で覚えています。

近藤聡乃(著)『新版 近藤聡乃エッセイ集 不思議というには地味な話』ナナロク社,p.96

「喉の感覚で覚えてい」るというのは、私も非常に共感するところ。私はいつかの日記に書いたとおり、毎晩、自分の部屋に強盗や殺人鬼が侵入することを想像して(勝手に)苦しんでいる。睡眠中、部屋で何か物音がすると、自分ってこんなに大声出せるんだ、と自分でも驚くくらいの大声をはりあげて飛び起きる。覚醒直後は決まって喉が痛い。

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夜驚症という言葉を初めて知ったのはゼーバルトの本だった。自分だけじゃなかった安堵感と、病気にカテゴライズされることへの釈然としない感じ。その後しばらくして、ナボコフやベルンハルトの小説の中に夜驚症の文字を発見したとき、私は夜驚症が登場する夜驚症小説を無意識のうちに追い求めている夜驚症患者ではないかと思ったりして、ページをめくる手が少し震えたものである。

少し前に映画『エイリアン』を観たのだが、人間たちがエイリアンたちに文字通り「侵入」される恐怖が、自分の部屋に強盗や殺人鬼が侵入する想像をやめられない心理に多少通じるような気がして、もしかするとこの映画を創ろうとした人たちも夜驚症だったのではないかと、思ったり思わなかったり。

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なんでこんな気味悪い話を書き始めたかというと、今日読み始めた武田百合子『ことばの食卓』の内容があまりにも不気味なエピソードの連続だったからだ。

ある食べ物をキーワードに戦中戦後の思い出話を綴ったエッセイだが、温かみがあるようでヒヤリとするし、おかしみがあるようでドキリとする、なんとも解釈しがたいエピソード群は、断片的な悪夢の寄せ集めのようでもある。『富士日記』ののどかで呑気な武田百合子のイメージで読み始めたため、期待してた雰囲気とのギャップにたいそう面食らったが、これはこれでとても面白い。夜驚症に悩んでいる癖に、悪夢のようなイメージを喚起する話を好む癖から察するに、私は、本当は、怖れているのではなく、求めているのかもしれない。

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