❤️思考研修が個人主体な理由

昨日非常に興味深い体験をしました。
新規アイディアビジネスコンテストの前段として、応募者全員に❤️思考研修を受けてもらいました。参加者は皆それぞれの問題意識を持ち、意欲も高く最終プレゼンテーションでは一名を除いて説得力のある❤️を語ってくれました。

さて

私は新規ビジネスアイディアコンテストの運営には直接関与していなかったので事情は分かりません。なのですが、アイディアコンテストの応募はなぜかチームで、ということになったようです。❤️思考研修に個人で参加した人達がチームを組み、検討を開始します。

私は「壁打ち」の依頼を受けました。まず❤️思考研修で行った「集合型壁打ち」を実施。私も参加してペアを作りお互いの提案に対して議論を行います。そして驚きました。

❤️思考研修の時にはあれほど見事なプレゼンをしていた参加者がチームを組んだ途端、成果の質と量が驚くほど低下していたのです。端的に表現するならば

「三週間、三回のワークショップで見事なプレゼンを行った人を3人ずつのチームにまとめ、二倍の期間を与える。
するとアウトプットが1/10になる」

なぜこんなことになってしまったのか?

日本には有名な「三本の矢」という逸話があります。一本の矢なら折れるけれど、3本束ねると折れない。協力しなさい、と。

しかし

こう考えてください。3本の矢を同時につがえて果たして思った方向に飛ぶでしょうか?(インド映画では3本とも悪役を仕留めますが)

「ゴール達成」フェーズならいざ知らず0→1を目指すフェーズではチームプレーは外悪になりうると知りました。具体的に述べましょう。

壁打ちで議論していて気がつきました。あるチームでは3人の参加者がそれぞれに異なる❤️の元となる原体験を持っていました。しかしそれぞれの❤️が向かう方向は少しずつ異なる。

こうした場合にお互いの立場を尊重しながら徹底的に議論し、必要であれば袂を分つのが正しい態度と考えます。

しかし

日本人にはDNAレベルで「和を持って尊しとなす」が刻み込まれているようです。異なる❤️をもった同士がグループを組むと、「お互いの落とし所を見つけるため」に努力の90%が消費されてしまう。その上「お互いが不満を述べない」提案というのは「お互いが本当にいいとは思っていない」提案になってしまう。

今回の経験を通じて❤️思考研修を個人主体にしたことが思ったより正しかったことを知りました。では新規ビジネス創出を行う際に常にチームは害悪なのか?

そうではありません。

私が考える理想的なチームの組み方は「この指止まれ」。個人が「こんなアイディアを持っている」と提示し、それに共鳴した人がチームを組む。このような形であるべきです。

そう考えれば❤️思考研修は、最初の「この指」を作るお手伝いをするための研修と考えることができるでしょう。

ご興味を持っていただいた方はぜひ❤️思考研修のページよりお問い合わせください。

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