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こんがらがっさんかん

聖蹟桜ヶ丘のあたりで、巨大な古墳を見学した。その古墳は、開けた斜面にあり、階段状に数段の高さになっていて、最下段と頂上との標高差はかなりのものだ。面積も広く、その形と大きさは、メキシコにあるテオティワカンのピラミッドを思わせた。ただし、斜面に位置する為、後ろ半分は頂上近くから地面に埋まっているような格好だ。

自分のいる頂上近くの斜面からは、古墳全体だけでなく、周囲の景色もよく見渡せた。巨大なピラミッド状の古墳は司馬に覆われており、視界の左下、古墳正面の最下段に、観音開きの扉が閉じているが見える。

古墳を見た後、しばらく歩いて行くと、フランス大使館があった、その中に入り、受け付けで手続きを済ませて、大使館を出る。

そこからかなりの距離を移動して、街中のとある建物の中に入った。そこで椅子に座り、講演を聞く。フランス大使館で行ったのは、この講演の受講の手続きだ。

講演の内容は、ロシアに関するものだった。特に、ロシアで産出する鉱油(石油、石炭、天然ガス等を含む混合物)に関して詳しく述べており、しかも、その鉱油は実は古くから日本でも産出するという。そして、その為の坑道も、いにしえから存在するとか。

それから、どのくらい時間や距離を隔てたのか分からないが、ともかく、その鉱油の坑道と深い関係のある神社にいた。

その神社の社殿で、宮司夫婦が大きな木箱でキビを蒸していて、湯気が立っている。やがて宮司は、金網で出来たタモのようなもので、蒸したキビをすくって、私の方へ向けた。私は両手を差し出すと、宮司がタモを傾ける。受け止めたキビは、おからのような薄い茶色のような黄色のような色で、まさにおからのように、緑や橙の刻んだ野菜が入っていた。

私はこのキビにまつわる神事があると思い、烏帽子や狩衣等、神職の装束を身に着けた。

すると、皇學館大學神道学専攻科の同級生達がやって来た。彼らは、たった今講義が終わって大学から出て来たところらしい。どうやら私は講義をサボってしまったようだ。が、神事の前には、そのようなことは小事だろうと思った。

やがて、その専攻科の同級生達の一部や、学部生達が、神職装束とはまた違った装束を着けて、社殿の中を、縦横無尽に飛び跳ねて、踊り始めた。

ターバンのようなタマネギ型の紫色の帽子から、白い布が垂れていて、顔を覆っている。その布には、薄い金色で「○」の字が書いていある。筆で書いたことがよく分かる、一部がかすれた○だ。花巻の鹿踊りのように、腹の前に縦に結わえられた太鼓を持ち、それを左右それぞれの手にもった撥で、こするように叩く。

そのように太鼓を叩きつつ、輪になって飛び跳ねる、大変軽快な踊りだ。私はその輪の中心にいたから、彼らがぐるぐる私の周りを飛び跳ねている格好だ。

そして、彼らは時々、声を合わせて一斉に、「こんがらがっさんかん!」と言う。
その時、言葉に合わせて、左右の手が弧を描きながら、素早く交互に太鼓を叩く。

こんがらがっさんかん。私はこの言葉に瞬時漢字を当てて意味を理解した。「こんがら」とは、不動明王の脇侍で、八大童子の一尊、矜羯羅童子(こんがらどうじ)だ。「がっさん」とは「合湌」、つまり神人共食の直会のようなものを意味する。「かん」は「館」であり、「合湌」をする為の建物、会場だ。また、「感」でもあって、共に食事をするような気持ちのことも意味する。

つまり、この社殿で、神人共食の直会を行い、また神人共食を行う、神々に敬意を払いつつ、かつ楽しげな気持ちになることだ。そして、その神は、矜羯羅童子か、不動明王なのだろう。神仏習合のようだ。

そしてまた、「こんがらがっさんかん」とは、いにしえより存在し、恐らくはこの神社に入口があると予感される、地底の鉱油産出地へと続く、坑道のことを意味すると、理解していた。

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夢は以上。

まず、夢の中で、聖蹟桜ヶ丘と認識していたが、現実の聖蹟桜ヶ丘に、このような場所はない。丘陵地を多摩川が削って流れるような場所なので、それなりに見晴らしの良い高台はあるだろうが、こんな世界遺産になりそうな巨大で特殊な形状の古墳はない。ただし、武蔵国一宮・小野神社が存在し、古代には栄えた場所である。夢の中で小野神社を意識はしなかったが。

もちろんフランス大使館などこんな場所にはなく、現実のフランス大使館に行った事もなく、外観の写真すら見た事がないのだが、夢の中では、はっきりとフランス大使館と認識していた。

ロシアに関係する講演を、そのフランス大使館の関係者が行っていたのかどうかはよく分からない。鉱油というのは、夢の中で、黒くネバーッとした、コールタールのようなものを思い浮かべた。それが地底の巨大な洞窟のような場所にある、真っ黒な池の中で、グーッと円錐形に持ちあがり、それが途中で弾けてまた平らな水面になるイメージを持った。

キビについては、大学生の時、二風谷のアイヌのお婆さんに、沢山のイナキビを貰って、炊いて食べた事がある。それは黄色い小粒のもので、確かに夢の中のイメージとはまあまあ合っていると思うが、現実のキビよりももっと粒が細かく、まさにおからのようなイメージだった。ただ、それでも夢の中では、キビだと認識していた。

キビから、吉備、岡山の神社のようなイメージもうっすらと持っていた気がするが、皇學館大學は伊勢にある。その神道学専攻科には、現実に通った。同級生達は、現実の同級生達だった。踊り手達には学部生も交じっていると瞬時に感じたが、彼らは顔を覆っていたので、知っている人間かどうかは分からない。

「こんがらがっさんかん」などという言葉は、これまでの生涯で一度も聞いた事がない。その割にはこれほどまでに、瞬時にその意味を克明に理解出来た。現実で一度も聞いた事のない言葉が、このように極めて印象深く登場し、しかもその意味が瞬時に理解できたという夢は、初めてである。

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ヘッダー画像は、北上みちのく芸能まつりで披露された、鹿踊り。「こんがらがっさんかん踊り」とは大分装束は異なるが、腹の前に太鼓を持ち、激しく踊るものであるし、夢と同じように輪になって踊っている写真を持っていた為、採用。夢の中で「鹿踊りのようだ」と思ったかどうかは、定かではない。

(令和三年一月二十三日の日中に見た夢)

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