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2023年霜降日記

二週続きで出店があるから慌ただしい。文学フリマの宅配搬出の荷物を受け取り、在庫を確認したら新刊以外の在庫がすべて10を切っていて驚く。『詩集 人工島の眠り』などは今年の1月の新刊だったから、1年で損益分岐をほぼ超えたことになる(たぶん)。まあ、年に4回文学フリマに出たことを思えばそうなるのかもしれない。けれどこの新刊制作ペースは決して持続可能的ではないし、交通費をかけて広島や福岡会場に出ることも今後そうそうないと思うので、今後の刷り部数を増やすとしたらそれは慎重に考えなければと思う。
数年前の既刊などは、すべて完売したら童話全集みたいな形で編み直してもいいかもしれないけれど、それまでに読みたい人が現れたときのために、応急措置として電子販売とかしてもいいのかなと考えている。『グレート・パンプキン』は2巻のほうがやや多めに残っているのだけれど、2巻だけ売れることもそうそうないと思うので、1巻を増刷するときはさらに続編が書けたときかな。こればかりはグレート・パンプキンが気まぐれを起こして続きを教えてくれない限りはなんとも言えない。そもそも2巻を出せたことが奇跡のようだったのだ。

などと考えていたら学生時代の友達から「ゴタンダくんの本って着払いで買える?」とメッセージを受信して驚いた。通販サイトを教えたらすぐに買ってくれて、在庫が減りつつあるなか、手元に届けられることがとても嬉しい。彼女は学生時代、一方的に憧れていた女の子イットガールだったから。

この世にアマレットというリキュールがあることを教えてくれたのは彼女だった。学祭でジャズ研が出していたバーに立ち(これは古き良き最後の時代だった気がするな)、蓮華色の妖しげな照明の下、会議机に並べた酒瓶の中からアマレットを薦めてくれたのだ。ジャズ演奏を聴きながら、杏仁豆腐のようなとろりとした甘さを気に入って、以来バーで甘いものが飲みたくなるとアマレットを選ぶようになった。今でもたまに飲む。飲むと彼女のことを思い出す。

大学卒業前の冬の夜、急にボスから「Rちゃん家で飲んでるからおいで」と連絡があり、自転車を漕いで彼女の住んでいた部屋に行った。我々の家はわりあい近かったのだ。Rちゃんはこたつに足をつっこんで、ベビーチーズをちっちゃなデザートフォークでちまちまつついていた。Rちゃんはおしゃれなピアスを持っていて、片耳ずつミニチュアみたいな真鍮製のフォークとナイフが可愛らしい。Rちゃんとボスはジャズに耳を傾けながらぼそぼそと話していて、それをぼんやり聞いていた。「これ…聴こえた?」「あ、聴こえた」。わたしの耳の解析度ではそれはただ単にジャズとしかわからないのだけれど。それから暗い屋上で煙草を吸った。「ここからの夕焼けが綺麗で、だから仕方ないよねって煙草吸えちゃうの」と彼女は内緒話するみたいに言った。真っ暗な屋上。ともに学んだ四年間。春になったらそれぞれの道を行くことが決まっている(ボスは留年したが)。その鬱蒼とした冬の夜の北山で、わたしは真っ赤な夕陽を見た。彼女は間違いなく特別な女の子だった。
学生専用のアパートを引き払うとき、お下がりのソファをもらった。マットレスにもなるコンパクトなソファで、十年以上使っていることになる。それが最後のやりとりだったはずだ。

記憶が一度に蘇って、メッセージでしばらくやりとりした。ずっと憧れていたよと打ち明ければ、彼女の方もそうだと言われて動揺する。ゴタンダくんの言葉が好きで癒やされているよ、と。照れ隠しに思い出話を持ち出すと、彼女は学生時代の記憶が眩しくて立ちすくんでしまいそうと言う。けど次に会うときはわたしたちの今を記憶しようよと言う。少しく酒が入っていると言っていたけれど、ずきずきするほどエモーショナルな人なのが変わらなくて嬉しかった。

出町柳のイベントでは久しぶりの友人たちに会えた。久しぶり~と言われる一方で、実はあんまり久しぶりのような感じもしない。コロナ禍は応援のためにライブハウスに入り浸ったり、暇に飽かして飲みの誘いがあれば二つ返事で行ったりしていたけれど、今年は自分のものづくりに集中していたから、制作期間の記憶がギュッと冷凍保存されている感じで、それ以外の重要なシーンはずっと手元に感じられるのだ。活動の場が違うから、こちらが制作に集中してしまうと半年以上会わなくなってしまうのだけれど、こうしてイベントに呼んでもらえることは本当に嬉しい。

もう5年目になるのに毎回晴れに恵まれるイベントだ
1発目の谷澤ウッドストックとハカマダユウキ
からあげがものすごく美味しかった!
Sensation(笑四季酒造)

聴き慣れたみんなの音楽を聞きながら、なんとなくニ年という月日の偉大さを思った。二年で変わったことは大きい。二年で4冊つくり、そのうち1冊は完売した。でも自分はどこに向かっているんだろう?

仕事がだいぶ面倒なことになっていて、平たく言うとサイボーグみたいな編集長とサイボーグ編集長をして“大谷翔平”と言わしめた先輩社員が二人がかりでぜいぜい言いながら編集し、組版を制作部に外注してやっているのと同じ種類の仕事を、組版を含め一人でやらないといけないことになった。今でも繁忙期は限界に感じること多々あるなか、本格的に健康を損なうこと必至であり、さらに余暇活動を犠牲にせねばならない覚悟を思うと、メンタルまでやられちゃいそうである(なにしろ平日は帰宅後に制作しているくらいなので、それができなくなったらものづくりそのものを諦めるしかないのだ)。もう5年いるからという理由でそれなりの仕事を任せられるというのであれば、5年分の昇給が伴わないとフェアじゃないですよね? 従業員の定額使いたい放題。この業界には編集職のキャリアを積みたくて入ったので、経費で高級車や犬を飼うことはできても社員の昇給は後ろ向きなこの会社に、心身の健康を損ねてまで尽くす理由はないと思っている。けれど、このことを考え始めると最近は頭がずきずきするようになってきたので、いっそ思考停止して体調を壊すぎりぎりまで惰性で取り組みそうな気もする……。自分がどこに向かっているのか、なにも考えずに制作に打ち込めたこの半年は幸福だったと思う。こういうことがあると一気に将来が不安になる。

それが金曜のことだったので、頭痛と戦いながらイベントの準備をしていると突然鼻血が出たりしてかなり怖かった。イベントの日は鼻血は出なかったのでSensationを2杯飲んでいい気持ちになった。日曜は朝は起きたけど、一通りの家事と荷ほどきを済ませてしまうとあとはもう急ぎの用がなかったので、ほとんど寝ていた。外出の予定を取りやめた。夜になって起き、スープ春雨をすすってまた寝た。そのぶん早く起きられるかなと思ったけど、活動できるようになるまでにいつもどおり8時間を要した。いったいどうなっているんだと思う。一方で11月の予定がぽんぽん入ってきており、どれも嬉しい予定ではあるのだけれど、イベントが終わってようやく制作に集中しようという期間でもあるから、自分のスケジューリングに一抹の不安を覚える。

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京都での気ままな暮らしを綴っています。日記ですが、毎日書けないので二十四節気ごと、つまり約15日ごとにつけています。それで「二十四節記」と…

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