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柴又100k完走しました

久しぶりにNoteを更新です。
5/19に初めて走ったウルトラマラソン、柴又100kの完走記を書きました。
ある意味、100kmのジョギング旅行でした。
タイトル画像は飛行機に乗ったときに撮影した利根川(手前)と江戸川(奥)です。

参加にあたって

昨年からウルトラマラソン完走を目標にしていました。東京近郊で走れる大会ということで柴又を目標の大会と位置付けました。
江戸川を柴又から利根川と分岐する茨城県五霞町までを往復するコース。
Runnetの大会レポによると、川沿いのコースにありがちなコメント。

景色が変わらず飽きる
ほとんど土手なので遮るものがなく暑い、向かい風をまともに受ける

ウルトラマラソンで有名な他の大会、サロマ湖や四万十川のようなことは望めないことは承知の上でエントリーしました。

練習

ウルトラマラソンの準備として行うことが推奨されている60km走は行いませんでした。ポイント練習としてやっていたことは、練習の前にスクワットをやって20~25kmくらい走ることを毎週末1回やっていたくらいです。これまでのフルマラソンの練習強度を少し上げたというのが正直なところです。

4月に練習として前橋渋川シティマラソン参加。

キロ6分10秒くらいのペースで完走。前橋渋川のコースは、25kmまでは上り、そのあとは下りというコース。前橋渋川のアップダウンでキロ6分10秒で行けたので、同じ気象条件なら50キロまではこのペースで行けそうと感じました。

目標

日没(18時40分ごろ)までの完走を目標としました。ウェーブスタートで7時なので、キロ7分で走ると700分=11時間40分とピタリ。エイドでのロスを考えて6分45秒から6分50秒で進めることにしました。

前日からスタート前

柴又の近く、小岩のホテルに宿泊。8時に就寝。ウェーブスタート7時の4時間前(3時)に起きようと思いましたが、2時に目が覚めてしまったので、そのまま起床。前日にコンビニで買ったいなり寿司やおにぎり、みそ汁、野菜ジュースという、フルマラソンの時と同じ内容。
5時にホテルをチェックアウトし、1.2kmほどを歩いてスタート地点へ移動。
5時半ごろにスタート会場に到着。ゆっくり着替えながら、東京、埼玉の天気予報を確認。東京は曇り予報、埼玉は晴れ予報。暑いのは本当に苦手。ということで暑さを想定して準備、装備しました。

(1)帽子 後頭部の日よけ付き
(2)ドロップバッグ
 ・Tシャツの着替え
 ・スポーツドリンク
 ・ボディーペーパー
 ・日焼け止め
 ・アミノバイタル スーパースポーツ(5個ほど)
(3)スペシャルバッグ
 ・夜間走行に備えてヘッドライト
 ・寒さ対策のアームカバー
(4)スタート時点の持ち物
 ・スタート前に日焼け止めを塗りました
 ・アミノバイタル(3個ほどウエストポーチに)
 ・スポーツドリンク

スタートからドロップバッグ受け取りまで

ウェーブスタートで7時にスタート。土手から河川敷の上りは早歩き。ペースは6分30秒から40秒くらい。江戸川を上っていくと常磐道や過去住んでいた地域を見えるので、そのポイントを目標に走りました。少し走るとすぐ埼玉県へ。つくばエクスプレス、武蔵野線の高架、常磐道、反対側の千葉県側の利根運河などを見て、気持ちを落ち着けるようにしました。
20kmくらいまでに見たかったポイントはすべて通過。ここから河川敷特有の同じ景色で、日陰もなく日差しが強くなり、暑くなってきました。30kmくらいまでは、キロ6分40秒くらいのペースで進められたものの、暑さへの弱さもあり徐々にペースダウン。キロ7分くらいにダウン。
持参したアミノバイタルの補給も常時行って、各エイドで給水をとって、体に水をかけていたもの暑さに対しては本当に弱い。自分でもうんざり。
ドロップバッグを受け取るところで一息つけるまでがんばろう。
江戸川の土手から、茨城県五霞町の町内を走るコースへ。
47.7km地点の五霞町ひばりの里に到着。ドロップバックの受け取り地点、ようやく一息。この時点で5時間40分くらい。

ドロップバッグ受け取り

ドロップバッグを受け取って、地べたに座って休憩。うどんをもらい、水分補給。Tシャツを着替え、ボディーペーパーで体を拭いて日焼け止めを塗りなおしました。ドロップバッグに入れていた、スポーツドリンク、アミノバイタルをウエストポーチに入れ替えました。休憩は10分くらい。
走り始めたところ、食べ過ぎ、飲みすぎたのか腹が少し苦しい。そして脚が一気にだるさを感じました。地べたに座ったのが良くなかったのか、補給量が多かったのか。
五霞町の町内コースは平たんだったものの、だるさがひどくなってきました。もうこの辺では、キロ7分半くらいのペース。
走る前には五霞町では利根川と江戸川の分岐が見れたらいいなと思っていたものの、そんな余裕もなくなりました。
なんで100km走ろうなんて思ったんだろう…
もう100kmなんて走るのはやめよう。

再び江戸川の土手へ

55kmすぎから再び江戸川のコース。帰りは町中を走ることなくひたすら江戸川の土手または河川敷。向かい風がとても強く、帽子が飛ばされそうになることもしばしば。このあたりから65kmくらいまでが一番しんどかったです。歩いたり走ったり。歩いているときに計算したところ、歩いたまま(キロ10分)では制限時間14時間では完走できない、キロ8分なら間に合うことがわかりました。
徒歩が含まれるとキロ9分くらい、走っているときはキロ8分くらいという状態で70kmくらいまで。完走したかったので、なんとかキロ8分半以下のペースなら走れそう。このペースを保って次のエイドまでがんばろうと走り続けました。日没までの完走は無理と判断して確実に完走しようと切り替えました。

ゴールへ

夕方になりだんだん涼しくなって、キロ8分10秒のペースを保てるようになりました。80kmを過ぎたあたりから、気持ちが前向きになってきました。往路で見たかったポイントも再び見て、残り距離をカウントダウンしながら。
日没時間を少し過ぎて、ようやく三郷の武蔵野線下を通過。あと10㎞。
暗くなってきたので、スペシャルバッグに入れておいたヘッドライトを点灯。向かい風は変わらず強く寒さを感じ始めたのでアームカバーも装着。
残り5kmを切って、対岸の松戸の明かりが見えてきて、ゴールがもう少しということを実感。
あー、やっと終わる、長かった。
土手から最後の河川敷へ。柴又のゴール地点の明かりが見えてきて少しだけラストスパート。やっとゴール。

ゴールして

正直言って、エイドステーションが2~3km間隔であることに非常に助けられました。5km間隔だったらやめていたかもしれません。本当にスタッフやボランティアの人たちの応援に励まされました。
走り終わった後は、もう生まれたばかりの子鹿。普通に歩くこともままならない状態でした。数日経っても足裏や膝回りの筋肉が痛くて、100kmのダメージを実感しました。正直ダメージの大きさは想像以上でした。
もう1回100kmを走ったらもう少しレースマネジメントをうまくできるとは思います。しかし、ダメージの大きさに耐えられる脚を作るまでは100kmへのチャレンジは行わないと思います。

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