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ドサクサ日記 6/5-11 2023

5日。
四十肩というよりは五十肩と呼ぶべき右肩の症状に苦しんでいる。とにかく慢性的に肩というよりは腕が痛い。毎朝、この鈍い痛みが目覚まし時計の変わりになっていて、6時に起床してしまう。人間の腕が着脱交換可能ならば、直ぐ様に肩甲骨からガシっと抜き取り、骨のまわりを綺麗に洗浄して天日に干し、それを昆布出汁か何かでプルプルの状態に戻してから、装備するように元の場所に戻したい。

6日。
藤枝へ。石の蔵の保存とスタジオ&コミュニティスペース設立に向けて、諦めずに動いている。しかし、個人的な残りの人生と、自分が世間に向けて果たすべき役割、金銭的なリスク、いろいろ考えて興奮したり緊張したり困惑したり、なかなか忙しい精神状態だなと思う。自分の人生だけが豊かならそれでよし、みたいな考えでは社会が殺伐としていくだけだと俺は考えている。誰かの豊かさが、誰とも関係なく成立しているだなんてことはまったくなく、人は人との関わりのなかで「豊かさ」を獲得する。俺が音楽を作れるのも、この国や社会のある種の豊かさの上での話。ただ、富や機会は偏在していて、社会の端っこで踏んづけられている人もいる。そうしたアンフェアをならしていくことは、特に、社会の豊かさの上で何かを得ている人たち(例えば、金銭的な利益)の責務だと俺は思う。頑張る。

7日。
レコード会社からの移動のタクシーが某社の最新の電気自動車で驚いた。運転手曰く、この車は走る家のような価格で販売されているとのことだった。様々なハイテクをガシガシと合体させたような車は居心地が良いかというとそうでもなく、身分不相応にラグジュアリーな感じがして精神とか魂が削られるような気がした。ここまで豪奢な車で移動したいと思っている人がいるということが、なかなか怖い。

8日。
腰越のあたりに集結して、七里ヶ浜近辺で取材。夕刻に高校生の集団がジャージ姿で海に入り、ワキャワキャと楽しそうだった。同時にとても阿呆そうでもあり、あのような阿呆パワーを全身に漲らせて闊歩していた時代が自分にもあったんだろうなと懐かしい気持ちになった。身の丈では受け止めきれない若さとパワーが、ある種の邪悪さに向かないための回路として、ロックがあってよかったと思う。

9日。
録音。つくづくバンドというのは不思議なコミュニティだと思う。そして、そこで出来上がる音楽も不思議な構造で、メンバーの様々な価値観が複雑なフィルターになって、楽曲が完成していく。音楽的にはひとりのメンバーが言った意見がおおむね正しく感じても、音楽的な正しさが課題の解決にならないこともある。分かってないしダサいけれど、それこそがそのバンドの美しさだったりして面白い。

10日。
キャンプをする用事があるので、いろいろ買い込んでいる。生粋のインドア派なので、自分が1週間近く野外に宿泊するという予定が信じられないでいる。フジロックですら、雨が降っていたら心が半分折れて、苗場プリンスに籠城することを決めるような男だ。楽しいことは好きだけれど体力を削られない方法がいいと思っている自分に、どのような変化が訪れるのか。もうええわ、となる可能性も含めて。

11日。
諸用で100円ショップを巡る。こんな商品まであるのか!と驚くほど、生活の細部というかニッチ、痒いところを見逃さないような品揃え。同時に、これほどまでに安いのは、はっきり言って作りすぎなのではないかとも感じる。100円で買えることがありがたいと思うものもあるが、こうした商品が100円であることに何の疑問も持たなくなると危ない気もする。そうした店が、おおよそ私鉄の駅ごとにあり、バリエーションもあり、どの店も棚はキッチリ商品で埋め尽くされている。キャンプ用に100円のライトを買おうかと考えたが、早晩ポキリと俺は壊してしまうのだろう。あるいは100円だったし買い替えたろかと、別の店で似たようなライトを買うのかもしれない。過剰生産の在庫処分市なのか、本当に100円を目指して作られた商品の売り場なのかはわからないけれど、便利も行き過ぎると途方に暮れる。