見出し画像

ドサクサ日記 2/5-11 2024

5日。
ボイストレーニングからのミックスチェック。年明け最初のボイストレーニイングだったので、身体はガチガチだった。疲れも溜まっていたので仕方がない。ライブに向けて、これから緩んでいけたらと思う。雪ということで、特段都内の用事がなかったメンバーたちはリモートチェックということになった。「ずっちーなぁ」という言葉を飲み込んでスタジオへ。ミックスは順調に完成。とはいえ、リリースが来年ということで、やろうと思えば一年間は直し放題。納期がなかったら楽曲というのは永遠に完成しないような気がする。でも、よくよく考えたら、楽曲というのは最初に録音されたものが完成形で唯一のオリジナルというわけではない。私という人間を写真で撮影すれば、そのときによって表情も違うし、年齢によって容姿も違う。オリジナルというのは自分が自分であるという事実くらいだろう。それだって物理的というよりは概念的な問題だと思う。楽曲というのは概念なので、その表し方は無数にあっていいと思う。テイラー・スイフトが過去のアルバムの多くを録り直したようなことは、もっと普通に行われていいと思う。もちろん、1980年にしか実現できなかったことと、2024年に達成できることに違いはある。どちらも楽しめばいいと思う。差異を感じることは、音楽鑑賞の楽しみの一つだと思う。

6日。
寒い。はちゃめちゃに寒いうえに小雨がパラつくなか、晴海埠頭でカメラマンのヤマテツとソロのアーティスト写真を撮影。海、港というのはあの世とこの世の真ん中に位置している。そう考えられていたのは中世とか、近世くらいまでのことだと思う。船にナントカ丸という幼名をつけるのは、まだこの世のものではない子供たちの名前をつけることで、あの世に連れ去られるのを防ぐ意味があったらしい。

7日。
奈良は大和郡山の技術者にエレキギターとベースの修理を依頼。基本的にギターはフィールで選んでいて、細かいこだわりがある言うよりは友人や恋人と過ごすように関係性を築いていくものだと考えている。しかし、経年の劣化によってそこかしこが傷んだり、自分の価値観が変わってしまうことがある。それと擦り合わせるべく、抜本的なカスタマイズをすることに。「とほん」という本屋に寄った。素敵。

8日。
朝の9時からやっている饂飩屋が近所に欲しい。早くても10時半、もしくは11時開店の饂飩屋チェーンや蕎麦屋はあるが、その時間に食べてから仕事へ行くと作業はほとんど午後からということになってしまう。朝メシを抜いて作業をして、遅い昼の時間に饂飩というルーティンもあるのだけど、歌の録音がない場合にはとにかく食べる時間を前倒しにして、没頭したりモヤモヤしたりする時間を増やしたい。

9日。
糖質ゼロ、みたいなビールを飲むとガッカリはしないけれども、なんとも言葉にできないそれじゃない感を舌でキャッチしてしまう。その違和感は喉から胃袋に達して、まあ、途中からは酔ってどうでも良くなってしまう。最近はハートランドの瓶を小さなガラスのコップで飲むのを気に入っていて、どうして美味しいのかはわからない。ビール1本くらいで痛風になるなら、受け入れるしかあるまいと思う。

10日。
新曲「Stateless」を踊ってくれている動画を見つけて感動した。少しずつ、みんなが違うように踊っているのがいい。踊るっていうことは自発的な要素と、踊らされるみたいな受動的な要素がマーブル状になっていると思うのだけれど、やっぱり根っこにところに能動的な「踊りたい」があって欲しいなと思う。私個人の生命や精神の躍動としての踊り、みたいな。でも、楽しい音楽が聞こえてきて、自分で望んだのかもわからないのに身体が揺れてしまうみたいなことも素敵だと思う。そうした揺れはどこかで踊りになって、乗って乗せられて、どっちが先かはわからないものになるんだと思う。音楽と身体の境目がなくなる、みたいな。しかし、踊りってのは存外に怖くて、強制的に同じポーズをさせられることがある。まわりの雰囲気や動きに合わせてしまうこともある。自由であってほしいなといつも思う。

11日。
ガザでパレスチナの人々(7割が女性と子供と言われている)が虐殺され、学校や病院のみならずコミュニティ全体が破壊され続けているという事実を前にして、テイラー・スイフトの来日もカニエの新譜もグラミー賞も、何もかも空々しく思えてしまう。イスラエルの暴力はアメリカをはじめとする先進国の援助によって行われている。アメリカのエンタメをキャンセルしたところで事態が好転することはないのかもしれないが、これらを手放しで絶賛することは、今はできないし、する気にもなれない。ガザだけでなく、ヨルダン川西岸地区でもひどい暴力が続いているという話を聞いた。国際法を無視した占領と入植は続き、パレスチナ人は嫌がらせを受け続けているという。こうした問題も、その本質も、国際社会はスルーし続けている。俺たちは西側のプロパガンダの中で生きてきたことを知ってほしい。