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ドサクサ日記 7/17-23 2023

17日。
週末のデモの打ち合わせを行う。カンパと自腹。「反対運動をやって」と言うのは簡単だけど、結構カロリーが高い。俺は開発に反対というよりは、100年前の市民の想いの集積である献木があっさり伐採されることに問題を感じる。例えば、コンペでこの開発を行うならば、世界中から妙案が集まるし、日本の優秀なクリエイターや建築家がその才能を発揮できるはずだと思う。方向と方法の再確認を望む。

<記事より引用>

 根本的には、都市を市民で議論しながらつくるという考え方が十分共有されていないように思います。公共性の高い計画でも、様々なステークホルダーの意見を十分集め、議論をして大きな決定をするというかたちが根付いていない。むしろ、少数の関係者で決めたことを、異論があまり出ないうちに早くそのまま実現したいという意向が、強く働いているように見えます。
 議論をすれば賛否は出る。否定的な意見が出ることも仕方がない。そのうえで物事の決定がある。しかし、異論を言わせないような仕組みがあるとしたら、これは民主的ではない。日本では都市に関わる決定を行う際に、時間をかけて市民の意見を聞くより、早くつくることを優先しているように見えます。市民参加の仕組みが決して成熟してはいないと思います。

静岡文化芸術大・松田達 准教授(建築学・都市学)

朝日新聞 「時時刻刻」2023年5月17日

18日。
午前中はグラストンバリーでお世話になった鍼灸師の治療院に遠征して施術を受けた。俺の暮らし方や働き方の根本にそっと針を刺すような治療で大変に癒された。その後は諸々、仕事をこなして、整形外科でリハビリの相談。まったく仕事に休みがないので予約を取るのが難しい。混んでいる整形外科は診察の時間が短くドライになりがちなのは仕方がない。俺の質問も医師からしたら答えるのが面倒と思しき初歩的なものや、的を射てないものがあるとは思う。時間の制約もある。でも、患者が得たいのは安心感というか、一緒に痛みや病いをなんとかしましょうね感というか、伴走してもらってることを実感したいんだと思う。カウンセラーの役割まで医師に求めたら、それこそ医師がパンクしてしまうかもしれない。ただ、少しの糊代があると良いなとときどき思う。納得すれば、耐えられることも多い。

19日。
静岡へ。石の蔵は解体が決まってしまったが、「一緒に何かしませんか?」というお誘いをいくつか受けている。とても大きなプロジェクトや、うちの物件を使ってくださいという話でありがたい。文化的な施設というのは、基本的には壊され続けている印象がある。作り直すのはとても難しいけれど、新設には希望がある。過去との接続を意識しながら、面白い場所や緩いコミュニティが作れたら嬉しい。

20日。
アジカンのリハ。やはり肩が痛む。ギターの掛け替え時はそれなりに正念場で、ガバッとギターを受け取って担ぐと、ズビーンと痛みが腕先に向かって、腕の深い場所を走る感覚がある。難儀だなこれは。演奏中は楽しいので痛みなど忘れてしまう。しかし、肩のせいで肺に空気が入っておらず、呼吸が浅い。そのあたりはストレッチでなんとかする。リハ後は移動して、エンジニア仕事。歌の録音。

21日。
ボイストレーニングで深い呼吸が回復。ピッチの良し悪しというのは身体感覚の問題で、それぞれの運動能力に差と似たようなところがある。そういうところとは別に、発声というのは呼吸と重なり合う部分がとても大きいので、息吸って吐いての訓練だけで、喉が信じられないくらい楽になる。視点を変えば、息がうまく吸えないほどにバッキバキの身体では、歌をうたうこともままならない。呼吸は大事。

22日。
神宮外苑前の再開発に反対するデモに参加。住民や市民との合意形成の時間が不十分であることが、この再開発の大きな問題点のひとつだと思う。デモのあとで、今回はダイアローグという新しい試みに挑戦した。残った参加者たちが小さいグループに分かれて車座になり、街について話し合った。市民と開発者たちで、ゆっくり話し合って、計画を決めるべきだと思う。向こう50年、あるいは100年先の市民や来訪者が憩う場所なのだから。この一帯を公園ではなく、私有地とする考え方には抵抗がある。神社仏閣は私有地というより、公共的な性質が強い場所だろう。私たちの生死に関わったり、人生や生活と密接であるがゆえに、税制上の優遇もある。公園の維持の問題にはもちろん市民も関わるべきで、私たちの側にも、政治や社会への参加が求められているのだと思う。素敵な場所になって欲しいと思う。

デモの後、車座になって話す人たち。参加者は少なくても、これこそが可能性であり、希望だと思う。開発者の皆さんにも、こうした話し合い場の開設を望む。その先により良い方法が必ずあるはず。

23日。
大阪のフェスに参加。とても暑い。埋立地の舞洲は観客たちの逃げ場が少ないので、少しだけ心配になる。音楽を楽しみに来て、体調が悪くなってしまっては本末転倒だ。観客たちを心配しながら、しかし、彼らの強かなタフネスも信用しながら、楽しく演奏した。楽屋に戻る車の中で、「ここに集う人たちあっての我々だなぁ」とメンバーとしみじみと話す。楽しんでくれたなら何より。感謝しかない。

Photo by Mitch Ikeda