見出し画像

ドサクサ日記1/23-29 2023

23日。
「本当の私」という言葉は恐ろしい。自分を穢らわしいと呪う呪詛にもなりかねない。仲間と一緒にいるときの自分と、家族と一緒にいるときの自分、職場で働いているときの自分のキャラクターに違いがあるのは当たり前だ。それは「本当の自分」がそれぞれに対応しているのではなく、個性は関係性のなかにしか存在しないということの証だと思う。個性に悩む人には平野啓一郎さんの本をお薦めしたい。

24日。
石の蔵の件について、藤枝市の皆さんとやりとり。いろいろな言葉と情報に上がったり下がったりして感情が忙しい。巨大な工費のことを考えて、かなり重めの決意を持ってプロジェクトに挑んでいたので、感情の上げ下げの振り幅がいつもより大きく、気を張っていたところもあったのか軽い不眠症のような状態になってしまった。夜中にきっちに目が覚めて明け方まで眠れない日が増えた。老化かもだけど。

25日。
スタジオで仲間たちと楽曲制作している時間がとても楽しい。もはや、流行りとか廃りで言えば、そのどちらでもない。本人たちの体験や生の実感や達成に重きを置いて、限られた時間を謳歌する。なんでもいいから音楽流して、ではなくて、この音楽が作りたい、そういう思い以外は必要なくなっていくだろう。音楽は聴くものから、作るものになる。ボタンひとつでできる時代でも、バンドをやりたい。

26日。
身体が強張りまくっている。背中も首も尻もバッキバキに張っている。自分が疲れてゆくとき、身体のあちこちがどんどん緊張していくのがわかる。何かをギュウッと長時間握りしめてみると、そのまま固まって指が動かなくなったりする。もっとスピードの遅いバージョンで、俺の身体だけではなく心や魂も固まって、ゆっくりと動かなくなってゆく。休むしかないんだけど、休みが少ない。温泉へ行きたい。

27日。
寒い。果てしなく寒い。自分のスタジオが地下でよかったと思う。風通しはまったく良くないが、何しろ地下なので気温や湿度が安定している。夏は涼しく、冬も涼しい。寒いと思うことがなくもないが、断熱性が高いのか少しの空調の運転でしばらく気温をコントロールすることができる。年中涼しいことを考えると、地底人というのは理にかなっているのかも。日光はたまに浴びに行けばいいのだから。

28日。
白鵬の引退式を観に両国国技館へ。思えば、初めての横綱土俵入りを観るために、俺は名古屋まで出かけたのだった。あれから随分経った。最後の横綱土俵入りまで観ることができて感無量だった。心の底から、お疲れ様という気持ちを込めて拍手をした。断髪式、日馬富士のハグとキスに白鵬は堪えきれず涙した。俺も一緒に泣いてしまった。八百長問題に揺れて閑古鳥が鳴いた時代や、震災後の不安定な時期も、白鵬の存在はとても大きかった(もちろん日馬富士も)。いろいろな苦労があっただろう。彼(彼ら)なくしては、今日の大相撲の発展はなかったとはっきりと思う。インディからメジャーに上がってまだ仕事がほとんどなかったころ、午前中から町のスタジオに行き、夕方前には自宅に戻るという毎日だった。そんななかで出会ったのが大相撲であり、白鵬だった。思い出の一番は平成20年の初場所、対朝青龍戦。自宅のテレビで固唾を飲んだ。朝青龍の吊りを堪えてからの上手投げ。白鵬の時代の幕開けだったと思う。引退式で少し気になったのは、やはり女性が土俵に上がれないということだった。家族が土俵の外からハサミを入れたり花束を渡したりする図は、今日の感覚から言うと大変な違和感がある。歴史を精査するなどして、その仕来りに正当性があるのかについて、十分に検討してほしいと思った。

29日。
久々に何もかもから離れてゆっくりした。首が張っている。抵抗力が落ちているのか、頭皮のキズのような吹出物のようなところが妙に痛む。体調は底のような気がする。温泉に行くような時間はないが少しリラックスして、来週からは身体が緩むような暮らしをしたいと思う。久々にいろいろな音楽をゆっくりと聞く。亡くなる偉大なミュージシャンが多くて悲しいが、新しく素晴らしい音楽も多くて楽しい。