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ドサクサ日記 12/25-31 2023

25日。
クリスマスってなんだろな的な、根源的な問いみたいなものを小脇に抱えつつも、ケーキを食べたりチキンを齧ったり、シャンメリーってどんな味だったけなとか思ったり、プレゼント交換をしたりする。キリスト教の聖地の近くでは非道な暴力が続いていて、俺が本当のサンタクロースだったら赤い服を着てソリにのっている場合ではないだろうと思う。こうした分裂をどうやってつかまえるべきなのか。

26日。
スタジオで作業。作曲しているときは本当に孤独で、誰とも分かち合えない伸び縮みする時間のなかから、なんとか素敵なフィールを取り出さなければいけない。理解されないという悲しみは簡単に怒りに転化するので、気をつけている。アジカンのスタジオに向かうころにはネガティブの塊になって、何もかもうまく行っていないような気持ちになるが、みるみると仲間たちの手によって曲に肉が付き血が通って、命が吹き込まれると安堵する。バンドというのは難しい。ソロだったら、こういう孤独感はあまり感じない。それは何につけ自分のやりたいことをやりたいようにやっているからだと思う。自己完結はしないけれど、孤立無縁を覚悟している。バンドの場合はすでにチームという小さな社会に自分が在るので、意図せずにそのなかで遭難してしまうことがある。今はとにかく、そこから脱出した気分。

27日。
ラジオ収録のあと、教授のトリビュート展を初台に観に行き、幡ヶ谷で打ち合わせ。来年の録音の話を友達とする。ポジティブな未来の話は楽しい。夜はD2021とCLPの放送に参加。これはじっとり重い。ガザではパレスチナ人を根こそぎ追い出すような酷い暴力が続いている。「私たちにできることは?」というのは悩みのひとつでもある。ちっぽけかもしれないが、彼らの傍らに自分の意志で立ちたい。

28日。
静岡へ。アーティスト支援を目的にしたスタジオの設立に邁進している。石の蔵の保全とスタジオ化には失敗したが、新しい場所を提供してくださる方が見つかったので、静岡に通っていろいろ話を詰めている。東京にあるようなスタジオを静岡に作っても仕方がないので、そこでしかできないような施設になったらいいなと仲間たちとあれこれ思案している。街づくりの一環を担うようなところに飛び込んでみると、自分がかなり辺鄙なところで生きてきたことがわかる。例えば、制作費を銀行から借りてきて、返済計画や事業計画を立てながらアルバムを作るなんてことはしてこなかった。そういうところと切り分けて、いい状況を用意してもらってこその創作だったと思う。しかし、スタジオの設立と運営となると、法律やビジネス上のあれこれについて考えざるを得ない。俺は今更大人の階段を登っている。

29日。
時代が音を立てて変わっていく様を観ているのかもしれないと思う。これほどまでに社会全体の価値観が書きかわっていくことを短期間に体験するとは思わなかった。自分の卒業アルバムを見返すような気持ちで、自分のことも社会のことも顔を真っ赤にして見返してしまう。未だに放置してはならないことだらけだと思うが、自分もその一翼みたいなところがあるかもしれず、「ほら見たことか!」とそこら中に言葉の弾丸を浴びせたりしている人を見るとひどく萎える。誰しもが大きな間違いの一員や一因であるのはほとんど確実なので、そうした場合に取り乱すことなく、自分を注意深く省みながら、せめて将来の人たちに少しでもマシな社会を手渡したいと思う。全体に影響を与えることは無理でも、自分が属するコミュニティや社会を少しでも良くすることはできると思う。赤っ恥かきながらでもやりたい。

30日。
朝日新聞のインタビュー記事が少しバズっている雰囲気があって、落ち着かない。読まれるということは誤読を必ず含む、良い意味でも、悪い意味でも。部屋はまったく片付かない。書籍とCDとレコードと機材で埋もれている。今年に起こったことにまつわる様々な感情もまったく片付かないが、とりあえずビールとワインを買いに出かけた。こうしてゆっくり、そしてきっちり、一年分は老いていく。

31日。
はっきり言ってどうしようもない自室の散らかりように呆然としながら、この日記を書いている。大概は1日の終わりに書くけれど、夕方くらいからはきっとお酒を飲んでしまって、脳やら身体やら、あるいは魂やらがネロネロになるまで弛緩してしまいそうなので、こうして先回りして記している。悲しい別れと、原風景のようなものとの再会と、体調不良と戦争、と書くと、それらを並列に並べるなんて不謹慎と言われるかもしれないが、いろいろなことがマーブル状に表れて、そうしたカオスのなかでしどろもどろになるのが人生なのではないかと思う。恒さんや坂本さんとの別れはとても辛かった。3月には肩を痛めた。ストレスからの怒りに任せて豪速球でも投げるかのようにティッシュをゴミ箱に叩きつけたときにグキっという衝撃があり、それから徐々に肩がおかしくなって、秋くらいには本当に信じられないくらい痛くて思い悩んだ。不眠症に近かった。音楽は救いで、ツアーに合わせて肩は少しずつ良くなったけれど、世の中は暗いニュースばかりであった。京都のお坊さんはどんな一文字で表すのだろう。そういう簡略化とか不毛やん、みたいなのが仏教のような気もしていて、門外漢である俺としては毎年「空(くう)」と書けばいいのではないかと考える。グランストンバリーは最高の体験だったが、あの地で観た経済格差はなんだったのだろうという気持ちがある。移民がセキュリティを務め、金持ちと白人が楽しむフェスだとも言えなくもない。この期に及んでも「子供を殺すな!」と言えない欧米のロックは、もはやジョン・レノンの系譜にはないのかもしれない。ポールとリンゴのお別れの歌と一緒に、ジョンの精神とまでお別れしてしまうんだろうか。かくいう俺も、アホを擦りおろしたような顔をして、これから蕎麦を茹で、ビールやワインを飲み、108の煩悩をきっちりと抱えたまま、除夜の鐘を聞くのだと思う。なんとも言えない。でも何というか、藁にでもしがみつくように、「なんとかなるらー」みたいな楽天的な精神が自分のなかにあって、それは悲しいけれども生きるためには最後の拠り所で、これに縋って、少しでもマシに生きたいと思う。願う。どうかみなさん良いお年を。温かいものを食べて。