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日記 12/20-26 2021

20日。
いつかはすべての業務上の契約から逃れて、たった一人の、独立独歩に戻りたい。音楽はほとんどの方位から好きだと言えるが、数万人を前に歌うことが本当の成功や幸福だとは思えない。でも、たったひとりの誰かが、過ぎ去る以外にないこの世の歩みのなかで、自分の音楽を気に入ってくれる瞬間を思うとたまらなくなる。出会える人と関われる時間は限られている。自分もまた、過ぎ去る生命のひとつ。

21日。
M-1の決勝の動画をYouTubeで観る。ランジャタイでむちゃくちゃ笑った。最終決定戦の錦鯉はすごいグルーヴだった。「面白い」とか「笑える」は人それぞれで、作り手と受け手では感覚が違うところがあると思う。世間的な人気と、芸人たちが評価する技術の齟齬もあるのだと想像する。知名度と技術は正比例の関係にないかもしれない。しかし、舞台に立ち続けられる人たちの強さを思う。

22日。
勤務先の業績に影響がないので、時給以上のパフォーマンスをする必要がない。そういうふうに皆が考えると、いろいろな場所が軽い地獄になるような気がする。しかし、勤務先の業績が人生と密接に関わるような雇用形態にある人の苦しみも、想像したい。働くことの難しさを知りながら、働く誰かのサービスを過剰に期待してしまう自分にときどき出会って、なんだか恥ずかしくなる。大らかでありたい。

23日。
いただき物の味噌煮込み饂飩を作って食べた。むちゃくちゃ麺が固い。これがデフォルトだと分かっていながら、調理に失敗したのではないかと自分を疑いたくなるような固さだった。讃岐饂飩における「コシ」のような言葉を無効化して、宇宙に放り投げて爆発させるような頑なさ。八丁味噌が独特な麺の食感を一分の隙もなく肯定している。固い麺が味噌に合うだがや。幻聴に納得しながら食べた。

24日。
CBSで作業。クリスマス、そして年末進行、どちらも信仰心や創作への意欲とは無関係に、産業の要請としてそこにある。そして我々の尻を蹴り上げたり、欲望に火をつけたりする。若い頃から所謂「クリスマス」にウダウダと文句を言いながらも、チキンやケーキを食べたり、稀にワキャワキャしたり、年末特番を見たりしてきた。大人になってからはもっぱら、締切りに追われ続けている。

25日。
クリスマスなのにヤンキー漫画を読んでいる。どうしてこうもヤンキー漫画は多いのだろう。自分が子供の頃から、いわゆる不良を主人公とし、不良社会のなかでのし上がること、友情を育むこと、そこにエロとギャグを盛り込んだような作品が多いと感じる。コミック雑誌の仕組みからして、そういう題材に人気が集まるという理由もあるだろう。のび太のような風貌で、それを読み漁る俺。

26日。
続。様々な境遇に悩みを抱えつつ、そこで作った小さな社会で育む友情と希望、みたいなところにはバリバリ感情移入する。しかし、怨嗟を煮詰めながら隣町の不良をぶっ飛ばしたり、抗争で仲間が殺されたりして悲しむ前に、バンドでもダンスでも文学でもラップでもアートでも何でもいいが、彼らのエネルギーの矛先を変える何かが、そこに在って欲しいなと不意に願ってしまった。「もうこれバンド組む以外、解決策ないよ」みたいなことをぶつぶつ言いながら、ヤンキー漫画を熟読する俺。「もう暴力の矛先を変えるしかないじゃん」とか言いながら、20巻くらい読んでしまった。部屋の机には今年に買った本が積み上がり、掃除も行き届かず、原稿の締め切りや音楽作業も山積み。数々のやるべきことをほっぽり投げて漫画を読み耽る幸福。いやでも、彼らに楽器やマイクを渡したいわー。