「いいこと」はわざわざ言わなくていい

ステージに立つと「いいこと」や「熱いこと」を言わなければいけない気がしてしまうインディーズミュージシャンというのが一定数いると思う。

シンガーソングライターなら「みなさんも辛いことや悲しいことあると思うんですけど…」という何にでも当てはまることしか言わない占い師のようなセリフが多くて、

バンドなら「今という時間は今しかないから一瞬一瞬を後悔なく生きよう!」みたいなかっこいいことを、マネキンを一生懸命人間に見せようとするような嘘っぽい熱量で語ることが増えたような気がする。

そういう人が楽屋でずっとゲームをしていたりするのを見ると着ぐるみショーの舞台裏で被り物を外したおっさんがタバコを吸っているところを目撃してしまった時のような侘しさがある。

と偉そうに書いている僕にもういうところがある。意味のあることを言わなければ心に響かないのではないかという思い込みがあったのだ。でもそんなことはないのだなということが少しずつわかってきた。

感動してしまうようなことって崇高なことよりも、元カノがスーパーのセルフレジでバーコードが読み取れず四苦八苦していて見てみるとQRコードを必死で読み込もうとしていて笑ったこととか、

シャワーを浴びてるとき換気扇が寒くて消した時に「冬が近いなあ」と思ったこととか、そんな些細な出来事の中にあったりしてそれは別に「いいことじゃなくてもいいこと」なのだ。

ツイッターにたくさん書いてきた生き方のことは別に嘘をついているわけではないけれど、どこかに少しいいことを言わなきゃという気持ちがあって、それは「素直な自分で人と関わりたい」という想いからずれているなあとここ数日でじわじわと感じた。

思えば昔好きだったバンドもライブでいいことなんて言っていなかったのにいつも感動して帰っていた。僕は語るのが好きなので言葉でも言いたいけど「語るのが好き」だからいいのだろう。それが「語らなきゃ」になったときに違和感が生まれるのだ。

30歳最後の日は美容院から歩いて帰りながらおもしいなと思ったどうでもいいことをたくさんツイートした。まだ少しそんなツイートを楽しんでもらえるのか不安も残っていたけれど個人的に「素直」に近づけた1日だった。

それを楽しんでもらえるように工夫をすることが「つくる」ということなのかもしれない。ぶちまけるのではなくて関わりの中で共有していきたいから僕は「つくる」が好きなのだと思う。

とうとう本格的に30代に踏み込む感覚がある。

背伸びしまくったり折れまくったり拗らせてきた20代。学ぶことを覚えて視界が広がりはじめた30代入口を終えて、ここからは素直な自分に近づいて「日常」にもっと目を向けながら暮らしていきたい。

30歳からの1年もお世話になりました。


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