僕が不登校にならなかったのは
僕の中学、高校時代はクラスに馴染めないでいた。
「いじめられてた」というほどのものではなかったけど、ニキビがひどかった僕は容姿をからかわれたり、すれ違いざまに「キモい」と言われたり、受験の時トイレから帰ってきたら筆記用具が全部消しゴムに突き刺してあったりした。
そういう気にしない人は気にしないでいられること(なのかな?)に多感な思春期の僕はいちいち傷ついた。
いろんな洗顔を試したし、たまにクラスメイトにしゃべりかけようと頑張ってみたりしたけど、心が晴れることはなかった。そういうひとつひとつが今でも心に刺さっている。
というよりも子どもの頃の精神というのはチョコレート作りで、溶けたカカオに砂糖を加えるときのようなドロドロな状態で、大人になるにつれて固まっていくのではないだろうか。
その時に砂糖ではなく本当は入れたくなかったものが入ってしまって、そのまま固まってしまったという感じで、もうあの頃の感覚というのは僕の心を形成する一部になってしまっている。
だから手放しで自分が好きだとは今でも言えない。多分これからも言えないと思う。
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そんな僕にも少ないけれど気があう友達がいた。違うクラスになっても休み時間に遊びに行っていた。一緒にカラオケに行ったり、恥ずかしい内容だったと思うけど歌詞のようなものを書いて見せ合ったりしていた。きっとそんなことが僕の学校生活を支えていた。
その友達がいなければ僕は不登校になっていたかもしれないな。
学校から帰ったら路上ライブをしに駅前まで行った。その時は今みたいに活動としてじゃなくて遊びで歌いに行っていた。
そこには学校とは違って、僕のことを蔑まずに一緒に歌ってくれる人たちがいっぱいいた。学校では皆無だったけど僕のことを好きになってくれる人もいた。
あとはバイト先の人たちもやさしかった。プライベートで遊んだりはなかったけど優しい人たちが多かった。
音楽をがっつりやり始めてからは「あいつはアーティストだから変わってる」という視点で見てくれる人も増えて、ひどいことを言う人も減った。間接的にも直接的にも音楽にも助けられた。
違うクラスに、学校の外に、自分の居場所がたまたまあった。苦しい教室が世界の全てではなかった。それが僕が学校に行き続けられた理由だと思う。
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あとは一人遊びが好きだったのもよかったのだと思う。誰かと一緒にいれなくても、本を読んだり、音楽をしたり、ゲームをしたりすると幸せだった。
自分の中に自分の居場所を作ることで、外から認められなくても楽しく過ごせるように遊んだ。
その弊害は人とのコミュニケーションや察することがめちゃめちゃ下手くそになったことで、大人と言われる年齢になってからはその生き方が大いに足かせになってしまった。
僕が「アーティストっぽい」なんて言ってもらえるのは、多分ずっとひとり遊びを続けているからで、こういう経験があってこそ今の僕の作品や発信なんだろうと思う。
いいのか悪いのかわからないけど、こうなってしまったんだから、これでできることをたくさん探したい。
という感じで足かせになる部分もあったのだけど、その時はそんな1人の世界に救われた。
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子どもでも、大人でも、辛くなる時はひとつの世界にとらわれている時で、そこから少し出てみれば認めてもらえる場所があったりする。
自分の好きな世界で、自分の好きなことに集中していれば、余計な不安なんて入ってこれない。
世界はひとつじゃない。嫌なところに行かなければならない場面もあるけど、辛くなったら違う世界に旅行したり、移住して、楽しく暮らしていこう。
傷跡はなくならなくても、笑って生きていける。
傷跡はなくならなくても、その傷に意味をあげられる。
大丈夫。
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