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大人になってからできる愛され方

人は愛してもらった分までしか他者を愛せないらしい。

基本的にその分は子どもの頃に決まってしまうと思う。自分のことを無条件で愛してくれる存在は特別なことがない限り親しかいないからだ。

だから親に愛されなかった子どもは人を愛せる量が少なくなってしまう。

それは親がどれだけ「愛情を込めて育てたつもり」かは関係のないことで、結果として子どもが「愛されていると感じられたか」でしかない。難しいけれどそういうものだと思う。

その子どもがそのまま親になったら、またその子どもも…。こういう連鎖を断ち切れるのは大人になった本人しかいない。だけど大人になったら世間はシビアだ。愛を知らない人に結果で見られる世界はどれだけ息苦しいだろう。


お金のない人ほど貧乏になるのはなぜだかわかるだろうか。

簡単に言うと大きな投資ができないからである。投資というのは「今ある材料を使って今より多くの、大きなものを生み出すこと」だ。大きく投資ができる人は、その分大きな結果を生み出すことができる。そして人は大きな結果に集まってくる。

では逆はどうだろうか。そう、小さな投資で得られるリターンは小さいものだ。大きな結果と小さな結果、一緒に並べた時に小さな結果は振り落とされてしまう。つまり金持ちはより金持ちに、貧乏はより貧乏になる構造が出来上がっている。

借金があるのは「貧乏でもできるだけ大きな投資をできるようにして、新たな価値を社会に増やすため」だ。経済を発展させるとはそういうことだと最近学んだ。

愛というのもきっと同じで、愛せる人に信頼は集まって、愛せない人はどんどん一人ぼっちになっていく。そういう構造になっている。

でもさっきも言ったように大人になれば無条件で愛を教えてくれる人はまずいない。厳しいけれど愛を知るには自分でその構造から抜け出す努力をしなければいけない。


まずその頑張りという投資が手を差し伸べてくれる人を引き寄せる。だけど最初はその手に気づくことすらできずに、または気づけても握り返すことができずにはじき返したり、見て見ぬ振りをしてしまうだろう。

そしてまた一人ぼっちになる。絶望して自分を責めて、もう人なんて信じないとか、一人が好きだと言い張ったりすると思う。本当は愛されたいくせに。

僕が見つけた愛されている人に共通していることは

「素直に愛してほしいと言う。」

それだけだ。

それが簡単なようでなかなかできない。ひねくれた言い回しでわかってくれるのを期待をしたり、黙っているのに気づいてくれないと腹を立てたりしてしまう。それでは人は離れていくだけだ。


愛を知れない構造から抜け出すなによりの必殺技。

それは自己啓発本を何冊も読むより、心理学をどれだけ研究するより、差し伸べられた手に気づこうとする意識をすること。その手を素直に握り返す勇気を振り絞ることだ。

「人に愛されるにはまず自分から」というのは正確には「愛されていることに気づくにはまず自分から愛そうとすること」だと思う。

一人暮らしをして初めて洗濯や掃除の大変さを知って母親に感謝をできるようになるみたいに、自分が愛そうとすることで実はもらっていた愛に気がつくことができる。

「無条件で愛を教えてくれる人はまずいない」と言ったけれどそれは「深い愛」の話で「何気ない愛」を無条件にくれている人はたくさんいる。

コンビニで笑顔で接客してくれる人。どの電車に乗ったらいいかわからないとき丁寧に教えてくれる駅員さん。ものを落としたら拾ってくれる知らない人。失態をこっそりフォローしてくれている友達。

そういうことに気がつけるようになった瞬間、自分の中に愛がものすごい勢いで増えていく。何気ない愛というのは深い愛を連れてくる。

愛を知らないとすべて満たされる深い愛ばかり求めてしまうけれど、小さな愛がそれを連れてきてくれるし、実は小さな愛だけでも十分に笑っていられることもわかってくる。

見落としてしまいそうな愛がたくさんあふれている。もう両手をいっぱい広げても持てないぐらいに。その手を握り返そうとすること、それが大人になってからできる愛され方なのだろう。

何はともかくやろうとすること。それはもうやっているのだ。何回失敗したとしても。


読んでくれてありがとうございます:-D

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