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路上ライブが厳しい

路上ライブが最近またさらに厳しいらしい。


厳しいっていうのは
苦情で警察の方や警備員の方からのストップもそうだし
路上ライブ自体を気にしてもらえる確率も減っている面でもですかね。

大雑把にいうと風当たりが強くなっているということです。


日本では基本的にはやっちゃいけないことだけど
ゆずやコブクロをはじめ路上ライブで有名になった人たちのおかげもあって
今でも「文化」としての側面で暖かく接してくれる警察、警備員の方も多いです。

「ごめんなあ。苦情入ってしまったから片付けてなあ。」
って優しく言ってもらえることもあります。

最初は優しくする作戦かもしれませんが(笑)



そんな中僕は今 グランフロント大阪で公認で路上ライブをさせていただける
ミュージックバスカーというものに参加させていただいていて
大阪では気兼ねなく路上ライブができています。

そのバスカーも音源審査、ライブ審査があって
誰でもできるようになるわけではないので
後藤大もその中に選んでいただけて本当にありがたく思っています。
(最近あんまりできてないけどまたやります!)


はじめて人前でギターを弾いて歌ったのは
地元 姫路駅のミスドがあるアーケードの中でした。
そこで楽譜いっぱい持って来て歌いまくって帰るのが
学生時代の僕の楽しみでした。


なので僕にとって大阪に来て何をしようかって思った時に
路上ライブを選ぶのは自然な流れで
やめていた時期もありますが かれこれ10年以上は路上をやり続けています。
え、10年以上も路上してるみたいです僕。


路上ライブは当時からよくストップはかかっていて
あの頃から厳しい厳しいとみんなで言っていました。
だけど何だかんだそのまま何年も多めに見てもらっています。


そうなんです。


多めに見てもらっているんです。



たまに
路上ライブ止めるならそこのタクシーも注意しろ!とか
そんな暇あったらもっと解決しなあかん事件あるやろ!
と憤っている方を見かけるのですが

こっちがダメだとされていることをやって、苦情の電話があって
わざわざ僕らのために交番から現地に呼ばれるわけですよ。
それが1日何件も。


路上をやる やらない、賛成、反対はみんな自分で選べばいいと思います。
ただやるなら止められたり怒られる覚悟はいると思います。
そこで僕らが迷惑かけてる人にキレるのは違うぞ。
とそういう言葉を聞くたびに思いますね。

すっと路上やって来たからこそ思います。


そんなわけで多めに見てもらいながら
今だにやれているわけですけど
最近はまた厳しくなっているみたいです。


路上ミュージシャンはこのまま無理を通しながら
いくつになっても怒られながら外で歌っていくのでしょうか。

輪をかけて興味も持ってもらいにくくなっている現状で
思考停止してサバイバルをしていくのでしょうか。





さて、


ここまで書いたことだけ見ると


すっごい暗くないですか(笑)




路上ライブは迷惑でもうダメだ〜。
って感じるじゃないですか。


でも何かが衰退していくときは
他の道が現れるってことだと思うんです。

今 現状を変えようと
公認でできる場所やイベントを作ろうとしてくれる人がいます。
路上ライブ以外のところに目を向けて動き始めている人もいます。
僕もまだ何ができているわけじゃないけど
路上ライブ関連に限らず視野を広げようとしています。


その新しい道は失敗することも多いかもしれないけど
もうダメだ〜って言っている10倍も20倍も楽しくてワクワクする道だと思いませんか。


警察や警備員の方に文句を言うより
抜け道を作っている方が生産的だと思いませんか。
むしろ今まで敵対だったのが協力関係になる道が作れるかもしれません。
それって嬉しくないですか。


そうなったら最高ですね。



今回は路上ライブについて書いたけど
そうじゃなくても日々の暮らしの中で先が暗く見えることってあるじゃないですか。
でも暗いってことは光も探しやすいってことだから
ちょっと角度を変えて楽しくしてみるといいなと思うんです


口で言うは簡単だから
動いていかないと変わんないんですけど
風呂のお湯を出すことさえ面倒臭がってしまう僕ですけど
明るい未来を想像して創造する自分を想像する(わかりにくい)
っていうのを頑張って忘れないようにしています。


路上事情もそうですけど
僕やあなたの身の回りのちょっとしたこと、大事なこと
そういうのが少しでも明るくなればいいなって思います。



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