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加藤しょこらという人

加藤しょこらさんのアイドル卒業ライブに行ってきた。

彼女の存在を知ったのはいつだったか忘れてしまったけど、ツイッターでたまたま見つけたのがきっかけだった。みんなが言いにくいことをはっきりと言い放っていたツイートが目に止まって気になったのだと思う。

最初は「大阪の日本橋をひっぱっているすごい人」という印象で、いつかこの人に楽曲提供をしたいという目標を密かに持っていた。

だけど提供の仕事をはじめて、頻繁にチェックするようになってきたところで卒業の発表。「この人はやめないだろう」と思っていたからびっくりしてしまった。

終わりというものは遠くから見ているといつも唐突だ。

そんなギリギリのタイミングだったけど、制作のことでお会いできる機会があった。ネットの気丈なイメージと違って繊細な人だという印象、そして自分と似た弱さを持った人なのかもしれないと思った。


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会場は満員だった。満員どころか人が入りきっていなかった。

彼女を長く知っている人は、卒業を発表してから大きく変わったと言っていた。僕は本当に短い期間しか知らないから、いいとこ取りをしたのかもしれない。

それでも、300人を超える人が明日大きな台風が来るって状況で足を運ぶこと、最後の曲に近づくにつれて聞こえるすすり泣きの音や、名前を叫ぶ声。全力のステージと、それに応えようとするフロアの熱。それは単純にラストスパートをがんばったってものじゃなくて、情熱や信頼を何年も何年も積み重ねてきた証だった。ほとんど歴史を知らない僕が歴史を感じてしまうぐらいに。


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ライブを見たり、お話しさせてもらう時、すこし「遠さ」を感じる人だった。
押し寄せて来る弱さをこらえながら、強くあろうとする人のように思っていた。

8月にアイドルを卒業した愛須ばにらさんのブログにも「泣いてるところみたことなかった」と書いてあった。

実際にはどうかわからないけれど、僕はいつも「加藤しょこらという人」を見ている感覚だった。「加藤しょこらという人」という表現は彼女自身がライブでも何度か口にした言葉だ。目指してやってきたんだろうな、思い描くアイドルを。

だから前半戦はいつもと変わらず、遠くから「あのすごい人」を見ていた。

だけど後半戦、仲間とのユニットで目を合わせるシーンや、最後に弱さをさらけ出して涙を流す姿に、僕は一気に当事者になって巻き込まれた。

「加藤しょこらという人」をしては歪なものだったのかもしれないけど、僕は最後の最後で初めて「加藤しょこら」の温度に触れた気がした。

いつも強く、苦しい時も腐らず、グチも言わず結果で示せる人が本当に格好いいと思う。そんな人の弱音だから感動するのだと思う。

しょこらさんは僕にとってそういう人の1人だった。

そんな憧れを感じたからこそ、僕は逆に隠すのをやめようと思えた。
ひねくれず、素直に弱さをさらけ出せたのなら、それさえも受け入れて等身大であろうとする勇気で伝えられることもあるはずだと。

伝え方も、立ち振る舞いも違うけど、遠くから格好いいなと見ていた彼女が最後に見せてくれた弱さは僕の中にもあるもので、こんな僕にもまだやれることがあると背中を押されたような気がした。


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もしも楽曲提供の仕事を始めるのが少し遅かったら、卒業発表がなかったら、会うことはなかったのかもしれない。

いろんなタイミングが重なって、いろんな感情が重なって、出会いというものは訪れる。出会うべくして、という奇跡のような縁もある。

歴史がひとつ終わった。
その終わりからきっとたくさんの想いがはじまっただろう。

2018.9.29
1人のアイドルが台風みたいに爪痕をのこして消えた。
一夜明け、埋め合わせのように外は強い風が吹いている。


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