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意味は退屈で、ムダはおもしろい。

歌詞を書くのが早い方だと自負している。基本的には1〜3時間で1曲できるのだけど、昨日は途中で書けなくなってしまった。

正確には今まで通りの方法なら全然書けるのだけど、そっちの方向に筆が進まなくなったという方がしっくりくる。

それだけではなくて昨日はどこかモヤモヤした感情を抱えたまま、何に手をつけてもやる気が出ない1日だった。


今日起きてからまずその感情と向き合う時間を作り、ノートにモヤモヤした場面を並べていくと答えが見つかった。

僕にはすべての物事に「意味」を見つけなければいけないという脅迫概念があったのだ。感情を大切にしようとしているのに、この意味意味マンが「これにはどんな意味がある?」「これをすることで何が得られる?」と邪魔をしてくるのだ。

意味は感情から離れた場所にある。
そして僕の歌詞は意味の割合が大きかった。

昨日書こうとしていた歌詞は「ただ感情をそこに再現する」という目標で書きはじめたから、いつも意味で埋めていた文字数がそのまま余ってしまったのである。

だからそこで続きは書けるけど書けなくなってしまった。


さっきツイキャスの有料枠で「コメントがしづらい時ってどんな時?」と尋ねてみたら、プレッシャーというワードが出てきた。

そこでハッとしたのだけどコメントがあまり来ない時は僕自身がプレッシャーを感じている。何かおもしろい話題を探さなきゃ、コメントをたくさんもらって盛り上げなきゃ、そうやって話すことに「意味」を探していたのだ。

食べ物や動物の話をする時は、別に意味なんて求めていないから盛り上がることが多かったのかと思った時「ああ、そうか!世間話っていうのは、なんでもないことをなんでもないまま話すからおもしろいんだ!」と閃いたのだった。

僕はこの「感情に働きかけるなんでもないこと」を「ムダ」と呼ぶことにした


考えてみれば意味自体にはおもしろさなんてない。だったらどうして意味は必要なんだろうか。そんな疑問が浮かんだ。

意味が必要な時というのは人に信念を伝えたり、心が迷いそうになった時。つまり社会(人との関わり)の中での存在意義、立ち位置を決定づけるものが意味なのだと思う。

そう考えると意味自体におもしろみがないのは当たり前の話だ。しかしムダだけではおもしろいだけだ。


この意味とムダの重なる部分。「意味のあるムダ」こそが表現者として大切なものではないか。

日々のムダをあますことなく楽しみ、意味を見つけるために学ぶ。そういう風な暮らしをしてみようかと考えている。

命が果てる時に「ああ、ムダでいい人生だった」と意味ごとなんでもないことにしてしまてしまえたら最高だな。


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