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悩みを解決する方法

一生これに苦しみ続けるんだろうと思っていた悩み事が「勉強と実践」でちゃんと解決するのだということがわかってきた。

問題を解決する方法は大きく分けて

・これはどういうもの?を知る
・だからこうしよう!を考える

のふたつだ。


たとえば今は心の状態について名前がついているものがたくさんある。ぼくはその中では「自己愛性パーソナリティー障害」の部類に入ると思っている。

自己愛性パーソナリティ障害とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型である。

「障害」なんて呼び方のせいかこういう話題になると「だれでもそういうところある」という意見が出てくるイメージがあるけれど、まさにそう。全くもってその通りなのだ。

僕の弱さの傾向には自己愛性パーソナリティー障害という名前を誰かがつけた。

きっと世の中の人が抱えている弱さのほとんどに何かの名前がついていて「傾向」ぐらいの人もいれば本当に「障害」と呼べるほどの人もいる。

「だれでもそういうところはある」のだけれどその言葉は自分の考える重さを他人に当てはめているから出てくるのだと思う。その悩みや弱さはたしかにその大きさでそこに存在している。


この障害の名前を知ったのは、人間関係で大きな失敗があって自分を責め続けている時にどうしたらマシな人間になれるのだろうと苦し紛れにネットで検索した時だった。

そこにはまるで自分のことが書かれているようだった。

本屋に行ってそれに関する本を買って読むと、自分がどうしてこういう思考に陥るようになったのかを考えるヒントが書いてあった。子どもの頃のあの経験が、学生時代のあの傷が今のぼくを形成しているんだと自覚していった。

「お前はダメだ」の一言で片付けられていたモヤモヤが「こういう心の傾向があるよ」と教えてもらえて「形」を見ることができたのだ。

まず、正体不明のなにかの姿がわかるだけで人はとても安心できる。

だから「障害」というちょっとたいそうに聞こえる呼び方だけど、それに惑わされて「心の病気(笑)」と誰かが弱さの形を見つける邪魔をするべきではない。その行為は勉強や解決の糸口も奪い去ってしまう。


どうしたらいいかわからなくなる時はたいがい、それの形が見えていない時だ。

「これはどういうもの?」を知る方法はたくさんあって、まさに本屋なんて何かひとつについて考えに考えた人の叡智の集合体が何千、何万冊も置いてある。

自分が悩んでいることは実はもう誰かが形を見つけてくれていて、しかも解決策まで編み出してくれていたりする。

炎だったら水をかければいいし、壁だったらハンマーを持ってくればいい。自己愛性パーソナリティー障害なら特別じゃない自分に「そのままで大丈夫だよ」と自分で言ってやれる練習方法を探せばいい。


人生が台無しになりそうなぐらいの大問題も、ほとんどのことは勉強と実践でちゃんと解決できる。

いま大きすぎる自分のイメージに苦しめられることがかなり少なくなったし、当時ボロボロにされた人間関係の失敗もまだ同じようなことはたまにあるけれど、規模が小さくなっている。

このぼくでも改善できたのだからきっとあなたもできると胸を張って勇気を届けていきたい。「できない」人間だからこそできることがある。

ぼくの強さは苦しめられ続けた弱さの中にある。
学びと行動は人生を救ってくれる。

裏技のような答えを期待していた人には思った内容と違っていたかもしれないけど、この地道な勉強と実践がなんだかんだ最強の裏技だとすごく思っています。


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