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ナンセンスの誘惑

これまで僕はナンセンスを追いかけてきた(と思っている)。きっかけは何だっただろうか。思い出してみる。

ひとつは詩を書き始めたこと。これが約20年前。以前は違うペンネームを使って地方紙に投稿したりもしていた。たまに掲載されることもあった。
そして、詩を書くことから派生した絵画教室みたいな感じのサークルで思いつくままに絵を描く、という手法を教えてもらった。

忘れもしない小学五年生の図工の時間に、僕の絵を担任教師に駄目な絵の見本にされた。見本になるのだからほめられるのかと思ったが、思い切り否定された。前に張り出されて僕は期待マックスだったのだが、評価は最低。それから僕は絵を描くことが嫌いになった。

先述の思いつくままに絵を描くという手法を習ってから、僕はまたたまにだが絵を描き始めた。一昔前のヘタウマ路線を狙って。絵というか図というか自分でもよく分からない。とにかくイメージをカタチにしてみたら結構面白い。noteのみんなのフォトギャラリーでも僕の画像が使われたりしてとてもうれしい。僕のナンセンスさが理解されたような気分になる。

ナンセンスは面白い。底がないし奥行きも果てしない。

これも小学生の頃の話だが、黒板の掃除をしたあとに

というマグネットを誰かが置いていた。僕は爆笑した。クラスメイトも爆笑していたと思う。すごいセンスの持ち主だと今になれば思うが、彼(彼女)が誰なのか、今どうしているかは知りようがない。

何だこれ?

っていうことがナンセンスの一歩だろう。少なくとも僕はそう思っている。

最近、僕の書くものは以前とは変わってきているような気がしている。それでも、

何だこれ?

っていうことを追いかけてみたい。とてつもない魅力を感じる。書き続ければ何かが分かるかもしれない。そう信じてナンセンスなことを僕はまた考える。ナンセンスの誘惑に僕は勝てない。

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