蚊を殺してもいい理論とは
どうもこんばんは。忢刄なり。
今宵も考え続けているのですが。
死について。
見える人々は死を嫌がり、怖がります。
しかし、目の前に現れた蚊、ゴキブリは容赦無く叩き潰す。
なんの感情もない。むしろ、死んで嬉しい。
それは何故なのか。
痒みという煩わしさを与えてくるからなのか、きもいという主観的感情なのか、大量に湧き出るから一匹くらい死んでも構わない。という感情なのか。
もしそうであれば、煩わしさを与えてくる人もいるだろうし、きもいと思う人もいると思う。ましてや大量に存在するジジイを一匹くらい殺してもなんとも思わないこともできるのではないか。
死に優劣をつける時点で矛盾が生まれるのではないか。
そもそも、多少死んでもいいくらい産まないからちょっと死んだくらいで悲しむんではないか。
そもそも子ゴキブリは親ゴキブリが死んでも悲しくないのか。
悲しくないのは嬉しいという感情がないからだろう。
悲しむのが嫌なら喜ぶことも一切辞めてしまうしかないと思うのだかそれでもいいのか?
喜びは残しながら悲しみだけ無くしたいなんで贅沢はいっていないか。
改めて感情が存在していることに感謝してみてはどうだろう。
いつかないものねだりについても考えたから書くね
おやすみ。
お小遣いください。
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