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違う、そうじゃない

会社組織の上司と言われる人たちは風通しの良い職場風土を醸成するためにあれこれ手を尽くしてくる。そして時にはこんなことも言っちゃう。

「毎週この時間を君たちのために空けておくから、相談・提案あれば気軽に来てね」

ここではそんな会社組織のお話ではなく、その時に感じた言葉の切り取られ方の気持ち悪さについて書こうと思う。

プロローグ

せっかく時間を作ってみたものの、思ったように使ってくれない部下たちにシビレを切らせた上司は会議を設けることにした。
みんなの話を聞きたい、と。

あー、めんどくさい。
さらにめんどうなことに、アピール上手なA君が

「事前にみんなの意見を集めたいので、ここに書きこんでね。」

とメールを飛ばしてくる。
一体何を書けというのだ。

違う、そうじゃない

みんながマジメに組織への提案や相談を書く中、自分が書いたのは以下のとおり。

求められているのは議論なのか?対話なのか?
上司への相談・提案と言われると「上司の正解」に合わせた答えを持っていかなければならずハードルが高い。
・・・云々

こんなこと書くヤツもどうかと思うが、それは置いておいて。
なぜかA君はみんなの文章を要約して上司に渡すことにしたらしい。
そして要約された文章が...

上司への相談・提案はハードルが高い

...違う、違う、そうじゃ、そうじゃない。

おわかりいただけるだろうか?この違い。
「相談・提案」がハードル高いわけではなく、「答え合わせ」に行くことがハードル高いのだ。「気軽に来いと言ってるけど、気軽に行ったらダメなんでしょ?」と言いたいのだ。「気軽さを求めるなら、やり方を変える必要があるんじゃない?」と言いたいのだ。

(だったら最初からそう書けよという話なのだが、どこまで書いていいかわからないから探りを入れつつ書くんじゃない?なぜこんな発言が出たのか、深掘りして聴くからこそ顔を合わせて話をする意味があるんじゃない?ま、それはまた別のお話だけど。)

聞きたいことしか聞かない人たち

では、なぜこんな切り取られ方をするのだろう?

読解力というより、おそらく無意識のバイアスがかかっているのではないかと思う。「上司に対してこんなことを言っては失礼だ」との思いから『「上司の正解」に合わせた答え云々・・・』は省かれてしまうのだ。

その結果、意味が変わってしまう。

これは、その人がこれまでの経験や育まれてきた考え方によるところが大きい。しかも本人が気付くことも難しい。きっと本人は良かれと思ってやっている。

人は自分の聞きたいことしか聞かない。「要約」「都合のいい部分だけ切り取る」は紙一重なのだ。

話の終着点

で、結局何が言いたいかというと、グラフィック・レコーダーも聴く力(←あえての”聴く”)は人それぞれだよ、と言いたいのだ。よくまとまっていても大事な部分が欠けているものはザラにある。

「みんなちがって、みんないい」は耳障りの良い言葉だけど、それで済まされてしまうのが苦手だ。絵の描き方だけではなく、もっと聴き方とか、言葉の切り取り方とかを考えた方がいいと思うのだよ。真摯にフィードバックしあおうよ。

自戒を込めて。

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