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【超短編小説】折り鶴

俺はあの人にちゃんと嫌われただろうか。
あの人はさっき店に来て、リングを一つ買った。
俺はあの人の目も見ずに、ひとつふたつ質問に答えて、それから必要なことだけを伝え、笑いもせず、最後にマニュアル通りのお礼を述べて、あの人を見送りもしなかった。
あの人は一生懸命俺に質問を投げかけ、「ああ、すてきね」と微笑み、金を払い、そしてまた精一杯の笑顔で俺に礼を告げ、ドアを開けて去って行った。
俺はあの人の顔を一切見なかったが、店内にいる間あの人がずっと笑顔でいたことはわかった。その笑顔があの人自身のためなのか、それともこの場をなんとか和やかなものにしようとしていたのか、それとも俺の笑顔を誘うものだったのかわからない。
しかし、確実にあの人はここにいる間ずっと笑顔だった。
ずっとずっと、悲しさを堪えた笑顔だった。

あの人がドアを開け、歩道に出て、ドアを閉める音が聞こえるまで、俺は下を見ていた。

ドアの音は泣いていた。
ドアも泣いていた。
ポツポツと降り出した空は、もちろん泣いていた。

どうして俺はこんな態度しか取れないのだろう。
いや、あの人が悪いのだ。あの人が誰にでもわかるくらいにハッキリと好意を伝えてくれたのなら、俺はやはりハッキリと伝えることができたのだ。
あの人も俺もズルい大人だから、そんなやり方が野暮であることを知っていて、古い木橋のような関係を壊すのが嫌なのだ。

しかし、俺はあの人の心の内を確実に知っている。
ある日、俺の誕生日に紙袋を携えて店に来て、互いの手が触れないよう慎重に気を使いながら俺にその紙袋を手渡し、いつもの笑顔で誕生日を祝ってくれた。
紙袋はズシリと重かった。
開けてみると、中にひとつ箱が入っていた。ラッピングを解いて蓋を開けると、そこには艶消しの金色をした造形物が静かに横たわっていた。
それは洋梨の形をした手のひらに乗るくらいの置物で、百貨店のセレクトショップに並ぶような著名なデザイナーのもののようだ。
俺が普段選ぶようなものとは違うが、嫌ではなかった。
ふと見ると洋梨のヘタから数センチしたに切れ込みが見えて、その造形物が小物入れであることがわかった。
蓋を開けると手紙が入っていて、そこには

お誕生日おめでとうございます。素晴らしい1年になりますように。

とありきたりなメッセージが書かれていた。

ありきたりでなかったのは、その手紙で鶴が折られていたことだった。

先程ポツリと降り始めた雨は、ごおっという風と共に、強い雨粒となって落ちてきた。
店のドアが開く。

いらっしゃいませ。

女だった。
ハンカチで髪や服をさっと拭いてから、ホッとした表情を見せた。
初めて見る顔だった。

すごい雨ですね。どうぞ止むまでごゆっくりなさってください。

女は明るく淀みのない声でお礼を言った。

以前からこちらのお店気になっていたんです。

それはそれはありがとうございます。一点一点手作りなんです。お探しのものがありましたらお手伝いいたしますよ。

それからその女とああでもないこうでもないと言って、30分程度時間が過ぎた。
女は品物を一つ選び、大変満足した様子で購入した。俺は十分商品の説明ができたし、女は商品を理解して購入してくれた。終始和やかな時間が過ぎていった。
俺は終始笑顔だった。

笑顔を作りながら、この女は鶴を折らないだろうと思った。
抑えきれない恋慕を鶴に込めることも、俺の感性を試すようなことも、この女はしないだろう。
品物を渡す時に、軽く互いの手が触れても、女も俺も何も心に響かなかった。

俺は女の顔をしっかり見たし、女が帰るまで見送った。
良い客だった。
俺は終始笑顔だったが、心には何もなかった。空っぽの笑顔だった。

もう雨は止んでいた。
開けたドアからは勢いよく降り注いだ後の冬の雨の匂いがした。
風がさっきより冷たくなっていた。

さっき俺はあの人の顔も見ず、冬の手が切れる朝のような返答だけを繰り返した。俺はあの人の心に尖った氷を突き刺した。その尖った氷を握る俺の手は血を流した。
あの人はもうこの店には来ない。あの人は泣いている。
あの人の鶴は、この冷たすぎる氷の上では越冬が出来ない。

俺はちゃんと嫌われたのだろうか。

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