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愛とはピュアなだけではないもの

昨日、今夏観劇に足を運んだミュージカル「ファントム」が大千穐楽を迎えた。
最終日のチケットは取れなかったものの、有難いことに配信がなされ、自宅でじっくり鑑賞することができた。

この作品は、観劇後、単純に「楽しかった」とか「エネルギーをもらえた」とか、あるいは「浄化された」というような物語ではない。人間の愚かさや、欲望や、無垢な故の残酷さの中に、きらりと光るひと粒の希望を観るような、そんな作品である。

この物語のヒロイン・クリスティーヌについては、「ファントム」にみる差別の話でも書いた。実は私はどうしても彼女が好きになれない。
彼女はまだ本当の愛を知らない。愛というものに恋をしている子どもである。
そんな彼女に傷つけられ、それでも彼女のことが好きでたまらないファントムの愛もまた狂気的である。


では私自身が愛というものを本当に知っているかといえば、クリスティーヌよりは知っているかもしれないが、よくわかっていないかもしれない。
彼女のように同情を愛と勘違いするような季節は終わってしまったようにも思う。

所詮は娯楽作品であり、この作品の中に大きなメッセージのようなものは感じられないが、私自身の愛の在り方がどうであるかを考えた約1ヵ月だった。

私は愛する人をちゃんと愛せているだろうか。

大好きな人への愛おしい気持ちと、若干の苦しみや憎しみやその他の負の感情。その負の感情への罪悪感のようなものがあるのは事実だが、「愛憎」という言葉があるように、多分、愛とはピュアなだけではない。
きっとそれが人間の証なのだ。


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