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ミリ単位の違和感

「何か変だな」という感覚は、きっと大事にした方が良い。
それが自分にしかわからないものであってもだ。

私は今、人に関することで「何か変だな」という気がしている。
根拠をここに挙げると差し障りがあるのでスルーしておくが、今までと言ってる(やってる)ことが微妙に違うと感じるときは、実際に相手に何かが起きているのだと思う。もしくは自分の感じ方が変化しているかもしれない。
どちらにしても相手と自分との世界のズレのようなものを今感じている。

先日も投稿したが、このところTwitterを見るのが少し苦痛に感じている。それどころか、人間関係における諸々のことをストレスに感じている。そのくせ人と関わっていたいというのも本音だ。
何だか心が重いときは、身の回りのことに過敏になる。だから先ほどの「何か変だな」を敏感に感じ取れるのだ。

私の身体、特に姿勢保持に関してミリ単位の違いはものすごく大きい。
健常な人にとってはたかがミリだと思うだろうし、サポートする側にとって「1ミリ動かしてほしい」という要求はとても面倒くさいだろう。そのとき、私をサポートしてくださるヘルパーさんの心情を私は感じ取れる。母は面と向かって「面倒くさい」という。

しかし、そのミリの違いで私の快適度は全く異なってしまう。ミリの違いは時間が経つとセンチになり、やがてメートルになるからだ。
長時間、そのストレスのある状態でイライラするよりは、初めからジャストフィットな状態でいるほうが結果的にストレスが最小限で済む。

「何か変だな」という感覚は、このミリ単位の違和感に近い。
他の人には気づかないのではないかと思うぐらいの、些細なことだ。
些細なことや、まだ起きていないことに右往左往されるのは合理的ではないが、拭おうとしてもやはり違和感が消えないでいる。
かといって、「何かありましたか?」と尋ねられる状況ではない。

もちろん、ミリ単位の違和感が自分の側に起きている可能性は全く否定できない。
日々楽しいと感じたり笑ったりすることはできるが、これまでと違う何かを自分の内側に感じることも多い。

うーん、とにかく疲れてるんだな、私。
昨日買ってきたマカロンでも食べるか。


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