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おごりの春のうつくしき

成人の日が1月第2週目の月曜日になったのは2000年からなのだそうだ。
なんだかついこの間まで15日だったような気がしてならない。

私が二十歳を迎えたとき、両親のいわゆる”大人の事情”のため、父とは別居していた。いつでも会えるものの、私は仕事や友達との交流で忙しく、月に1度も会わない、電話にも出ないということもあった。だが、父のいない家庭で、私は、厳格で頑固な「父性」のない自由と、人には言えない寂しさのようなものと同居していた。

家庭内がそんな状態だったので、二十歳のお祝いに何かをしてほしいとは思っておらず、成人式にも出なかった。
のちに、親友が着物を着て撮った写真を見て羨ましいなと思った。成人の記念に着物を着るという発想は私にはなかったが、あったとしてもその当時の家庭事情ではとても口に出せなかったと思う。
今になって、あの時和服を着て写真を撮っておけば良かったかなと少し後悔している。

母は「こんな状態で何もできないから」と言って、リングを買ってくれた。
泣きそうになった。
それは小さなパールにピンクトルマリンがついたとても可愛いリングで、今でも私は大切に持っている。

二十歳の頃の記憶はあまりない。
今よりも自分で動くことが出来ていた私は、会社勤めをしていたし、介助者の必要もなく友達と遊びに行っていた。そんなことくらいしか思い出せない。
私の障害特性上、日本で運転免許を取ることが難しく、いつかアメリカで取りたいなとか、24歳で芥川賞を受賞した村上龍のように、私も何か成し遂げられるかもしれないなどと、ちょっとした野望を抱いていたかもしれない。仕事で上り詰めたいという野心もあった。
とにかく、何でも出来るような気がしていたということだけは覚えている。

あれから何年もの月日が流れ、今、私には野望や野心というものはない。
こうしたいな、こうなったらいいな、程度の希望や願いはあるものの、大きな夢はもっていない。
それでも、きっとあの頃に思っていたことのいくつかは叶っているはずだ。
ほとんど自分で動くことができなくなっても、こうして毎日平和で楽しく暮らせるのは、周囲の人達のおかげであり、その時々において私も頑張ってきたからなのだと思う。

二十歳。今は18歳が成人である。
どちらにせよ、若いって良いなと思う。
もう若くない私は、若い人たちに「あんな大人になりたいな」と思われるような、魅力的でかっこいい大人になりたいな。

その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
与謝野晶子『みだれ髪』


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