車椅子の私の色
車椅子で外出するのは大変だし不便だ。
いくら一昔前に比べてバリアフリーが進んだとはいえ、その分、人のモラルは低下しているように思える。
私は生まれてこのかた、1度も健常者になりたいと思ったことはないが、車椅子での外出は何の得もない。せいぜい、混雑している電車内でも座っていられることくらいだろうか。
確かに得することはないが、車椅子で良かったと思えることはひとつある。
すぐに人に覚えてもらえるのだ。
先日、渋谷のシアターオーブに観劇に行ったときのこと。
「天空の劇場」と呼ばれるその劇場へは、まず11階のスカイロビーから更にエスカレーターで上がっていくのだが、車椅子や歩行困難な人などはエレベーターで上がる。
そのエレベーターに乗るにはスタッフの鍵が必要なドアがある。ドアが開けられるとまるで秘密の部屋に行くためのように感じられるエレベーターが鎮座している。
スタッフの案内で13階まで上がる。
到着するとドアが開き、別のスタッフに案内がバトンタッチされる。
パッとドアが開いて声がかかった。ニコニコと穏やかで柔らかく、幼稚園の先生のようなかわいらしい笑顔の女性スタッフが、私にこういった。
お久しぶりです!今日、リストにお名前があってお会いできるのを楽しみにしていたんです!!!
私も言う。
私も今日お会いできるかなって、さっきヘルパーさんと話していたんです!
毎回ではないが、彼女には何度かエレベーターから客席へ案内していただいている。
車椅子で劇場に行く時は事前に連絡をしておくのだが、彼女は”今日のお客リスト”から私の名前を見つけてくれたのだ。
私は私で、おっとりとしてかわいらしい雰囲気の女性スタッフに会いたいなと思っていた。
エレベーターから客席までのほんのひと時、そして終演後の客席からエレベーターまでのほんのひと時、その僅かな時間でしか私たちは会話することができないが、名前と顔を覚えていてくれている彼女に、私はとても温かい気持ちになった。
この劇場に限らず、あちこちのお店などでも私はすぐに覚えてもらえる。
服装やヘアスタイルやメイクが変わっても、私だとわかるはずだ。
名前がわからなくても、「見たことがある」くらいの記憶はあるだろう。
車椅子でいることに得はない。むしろ損なことの方が多いかもしれない。
それでも、車椅子のおかげで私は透明ではない。会う人会う人に何らかの記憶や印象をもたらしているはずだ。
赤か、青か、ピンクか、黄色か、彼ら彼女らに私はどんな色に見えるのだろう。
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