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好き、嫌い、でも好き

どんなに好きな相手でも、ちょっぴり嫌いなところはあるものだ。
最初のうちは嫌いなところに目を背けていられるが、関係が長くなれば嫌いなところは気になる。
そこを許せるかどうか、なのだと思う。

文法の話をしよう。

文法を学ぶのは嫌じゃない。この魔法さえ手に入れれば、どんな言語でも、話せるような気がする。
基本的な文法を覚えれば、あとは単語を入れ替えれば良い。

簡単、簡単。

とならないのが人が話す「言葉」である。
コンピュータ言語なら、入出力・代入・四則演算・論理演算、それに配列処理や関数等の知識があれば、まぁまぁ形にはなるし、文法エラーはマシンが吐き出してくれるので、それを文法通りに直せば良い。

ところが、人の言語は学ぶべき文法範囲が広い。
例えば挨拶・語順・時制・時や場所の言い方など、どの言語にもある程度共通して学ぶ項目はある。
(過去や未来のような時間概念を持たない言語もあるそうだ)
そこに、文字の違い、冠詞の有無や、名詞の性別、オノマトペ…etc 様々な言語的特徴が付加される。

そしてコンピュータ言語にはないものが「例外」である。
mouseの複数形がmiceになるとか、readは読み方が2つあるとか、とにかく人が話す言葉にはイレギュラーなものが多いのだ。
日本語を母語としている私たちには気づかないけれど、日本語を学ぶ外国人はきっと日本語のイレギュラーさに辟易していると思う。

そんな文法を取り巻く諸々の事象に、私はいつも「いや、通じりゃいいんだろが!」とひとりツッコミをしてみるが、一方で「文法」の性質が持つシステマティックな美しさにも惹かれてる。

数学が全くできない私が、数式に美しさを感じるのも、おそらく語学における文法の美しさと似たようなものを見いだしているからだ。
たとえば、自由落下の速度および位置を求める v=gt や y=(1/2)gt2 だって、変数 g と t に具体的な数値を入れるだけでたちまち解が求められるのだから、This is a 名詞 の名詞の部分を入れ替えるだけで、あらゆるモノに対して「これは○○です」と説明できてしまうこととよく似ている。

すばらしい…。

文法や、公式を覚えるのは、”覚えなければならない”という試練はあるものの、覚えてしまえば良いだけの話。
自分でデータを集めて一般化しなくても、既に誰かが世界の各言語の文法体系をまとめてくれているのだからこんなに有難いことはない。
本当にありがとうございます。

本日も、心して学ばせていただきます。

いや、でも、大変だよね。文法覚えるのって…


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