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役目を終えた思い出の削除

GWに入り、どこにも行かない(行けない)代わりに片づけたいと思っている。パソコンも例外ではなく、溜まりに溜まった画像や動画をバックアップ用のHDDに移した。その際に、不要と思われる画像をポチポチと削除した。

どういう意図で撮ったかわからない写真、妙に枚数の多い写真、Instagramで自動的に作られるバックアップなど、かなりの画像を削除したと思う。
サムネイルを見てパッといらないと判断できる画像を削除し、何が写っているかわからないものはひとつずつ開いて確認する。

私が子供の頃は、フィルムで撮られた写真がアルバムに貼られていた時代だが、それらはほとんどが父の撮った写真であり、「へぇ、懐かしいねぇ」とは思うが、近年私が撮った写真は日常・非日常風景含めて生々しい。それほど古い写真ではないにも関わらず、「あの頃の私」がそこにいる。
実際に私が写っている写真はあまりない。しかし、写したものを見れば、その時に関心があったもの、好きだった人、思いや想い、様々なことがよぎっていく。
その当時は大切にしていた被写体も、今は何にも思わなかったり、反対にものすごく愛おしく思えたりする。

私は、もう使わないがなかなか捨てがたいものがあった時に写真に撮ってから捨てるようにしている。不思議なことにそういった写真ももうためらいもなく削除できる。そして本当にそのモノとお別れとなる。心がちょっとだけ軽くなる。
あの頃の気持ちを書いてInstagramに掲載し、それが画像となったものも、思い切って削除してみる。やっぱりちょっとだけ心が軽くなる。

なるほど、何かを捨てると前しか向けなくなる。
よく若い人が「思い出作り」と言っていて、それをとても微笑ましく思うが、私くらいの年代になるとむしろ作った思い出は記憶の中にだけ留め、データやモノなどとはおさらばした方が良いのかもしれない。

…なんてことを今は思うが、やっぱりまた思い出作りに励んでしまうのかもしれない。

ともかく、今日のところはかなりの不要なものを捨てられたことで良しとしよう。ちょっとだけサッパリした。
役目を終えた思い出、ありがとう。

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