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1月5日の総供養 【熊本県八代市坂本町・上鎌瀬地区】

●踏み潰された河童の供養?

正月気分がまだまだ明けない、1月5日に毎年必ず行われている、球磨川流域の小さな集落の伝統行事「総供養」。
由来は、この地域に残される昔話から。

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ある時この付近の村人が近くのお寺にお参りに行っており、集落はほとんど空っぽ。
するとそれを見た村人がどうしてもお寺に居た村人たちを振り向かせたくって、
「お〜い、火事だぞ〜」と嘘をつく。
すると、お寺にいた村人たちは目の前の球磨川を渡って集落に帰ろうと大慌てで渡った。
あまりにも急いでいたので、球磨川にいた河童を踏み潰して殺してしまった…。
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そんなわけで、その河童たちを供養するために毎年1月5日に、球磨川へ行き供養のための儀式を行うようになったのが始まりとのこと。

●最初から最後まで不思議な儀式

日本三大急流・球磨川の川原

さてどんな手順かというと、まずは早朝より球磨川の川原へ降りたち、石を拾います。
拾う石の数、なんと365個。
そう、一年間の日にちの分拾うそうで、うるう年の時は366個。


石も、ただ何でも拾えば良いというわけではなく…。
[平たくて][薄くて][大きすぎず][小さすぎず]
と、なかなかセンスが問われる石拾い…。
どうしてそのような石が良いのかというと…
後々明かされていきます…!!

理想はこんな石。

さて、無事に石を拾い終えると集落へ戻り、
拾った石を綺麗に拭きあげます。

タオルで拭いて石を綺麗に


と思ったら次の瞬間

石に書かれているのは…?

みなさん、石に黒の油性マジックで「南無阿弥陀佛」と書き始めました。
しかも拾った石すべてに書くそうです。
なんと気がとおくなる作業。

集落の数名で、毎年数時間かけて365個すべての石に書く作業を行います。昔はマジックではなくて筆だったんだとか。

拾った石に書かれた「南無阿弥陀沸」

そしていよいよ全ての石に「南無阿弥陀沸」を書き終えると、集落の公民館に供養の御経をあげるため、お寺の住職がいらっしゃいます。
ふと、公民館の前方を見ると…

並んでいたのは…

なんと大量のお餅がずらり。
というのも、この総供養では各世帯から必ずお餅をお供えすることになっているのだそうで、年末についたお正月用のお餅を持参されるのです。

さて、石もお餅も揃い、お寺のご住職のお経あげと有り難いお話が終わると、集落のみなさんはまた次なる場所へ移動します。

●ふたたび球磨川へ

石を拾った川原へ

なんと、また最初に石を拾った球磨川の川原へ戻ってきました。
そして、次の瞬間…

石を球磨川へ向かって投げはじめました。
「南無阿弥陀佛」と書いた365個の石すべてを、この球磨川へ投げ入れるのです。
あ、そうそう、お供えのお餅も一緒に。

昔はもっとこの川も水位があり、石を投げるときは川舟に乗って舟から投げていたそうです。
しかし、度重なる水害の度に川沿いの嵩上げ工事がなされ、舟に乗ることもなくなり、だんだん人と川との距離が遠くなってしまったのでした。


舟に乗らなくなってからは、JR肥薩線の橋梁の歩道を利用して石を投げていました。

在りし日の球磨川第一橋梁

しかし、令和2年の豪雨災害により、この橋梁が流出。近代化産業遺産にも選ばれていた、この地域のシンボル的な存在であった橋梁だったのですが、無惨な姿になってしまいました。

本来、こんなに美しい姿でした
災害によりこのような姿に

というわけで、その総供養の行事の際にも重要な存在であった橋梁を失ってしまったため、去年からはまた再び球磨川の川原に降りて石を投げ入れるようになったそうなのです。(川まで降りるのが結構大変で、高齢者には辛い作業のようですが仕方ありません)

時代の流れとともに、儀式の手順や作法も大きく変遷しているのですが、災害があってもやめることをせず、しっかりと伝統を受け継ぐ上鎌瀬地区のみなさん。
この総供養の由来となった昔話が果たして事実なのか、そしていつの出来事なのかも分かりませんが、こんなに律儀に言い伝えを守り続ける村人の暮らしに触れる度、いつもワクワクとドキドキが止まりません。

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