山本葡萄

人生の振り返りと遺書代わり。 コンタクトはツイッターのDMでもお待ちしています。

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当ブログ管理者のプロフィールと記事紹介

・名前山本葡萄 ・生い立ち1997年、神奈川県横須賀市に生まれ、幼少期は広島県呉市や岩手県内各地を転々とする。 同時期よりADHDを発症しており、少年期から双極性障害、パニック障害、解離性人格障害を発症。精神障害2級。 また幼少期より虐待を受けており、児童相談所、里親、祖父母の元で生活をしていた。 ・学歴岩手県立F工業高校 電気情報システム科 卒業 T学院大学 工学部 電気情報工学科   中退 S大学 情報マネジメント学部 現代マネジメント学科 在学 ・職歴風俗業(売

    • 障害者雇用で上司からハラスメントを受けたので告発した話

      障害者雇用で大企業に採用された経緯は前回の記事で↓ 私が働いている会社 現在私が働いている会社は、社員数数百名、資本金数億円、大きなビルにオフィスを構える、一般的に言う大企業です。 部署も多岐に渡り、私は会計を担当しています。 上司からのハラスメント 入社して数ヶ月間、定期的に上司との面談が設定されていました。 その度に病気のことを聞かれたり、私生活を聞かれたり、この時点で嫌な気持ちになっていました。 決定的に私がハラスメントだと感じた件は、上司が私の服薬に口出しし

      • 大学を中退して風俗で働いた話

        上京する理由や過程は前回までの記事で。 家探し 20歳になりバイトで100万円を貯めた私は、東京に家を借りるために夜行バスで新宿に向かいました。 「保証人無し」「定職無し」で賃貸を検索すると、そういった物件専門の仲介業者があったのでそこへ向かいました。 土地勘もなく家賃相場も知らなかった私は、板橋区の近くの家賃4万円のボロアパートを借りることにしました。 振り返ってみると、風俗で働き始めてからは月に1回程しか家に帰らなかったので、格安ボロアパートを借りていて正解でした。

        • 学生時代に経験した最高のバイトと最低のバイト

          貧乏な毒親から逃げ出した話は前回の記事で。 「大学2年生の終わりに大学を中退して上京し一人暮らしをする。」 「編入のことも考えて大学には真面目に通いながら夜勤や休日で上京費用を稼ぐ。」 という目標を持って大学に入学した私は、居酒屋、バー、ホテル、銭湯、などなど様々なアルバイトを経験しました。 そんな私が「最高だったバイト」と「最低だったバイト」をお伝えします。 最高だったバイト:コンビニ コンビニと言っても「直営店」や「FC店」に分けられますが、私は「オーナーが優しいF

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          毒親と田舎と貧困から逃げた話

          里親に虐められ、親権者に引き取られるまでの過程は前回の記事で。 実家の環境 12歳の時に里親から逃げるために親権者、つまり実家に引き取られた訳ですが、とても不便で貧しい生活を送りました。 親権者からハラスメントも多々受けました。 以下に特に私が嫌だったことについて挙げます。 環境面について ・上下水道がない 上下水道がないということは、当然トイレはボットントイレですし、飲み水も山の湧き水を使っているため衛生基準を満たしいているか不明です。 生活排水はすべてそのまま川に

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          里親に差別されいじめられた話

          児童相談所での生活はこちらの記事から。 この記事は私が8歳から11歳までの話です。 里親の種類 一口に里親と言っても、親権を取得して子供が成人になるまで育てる里親も居れば、親権を取得せず短期間だけ面倒を見る里親も居ます。 どちらが良い悪いとかいう話では無いのですが、私の場合は後者の親権を取得されず育てられるパターンでした。 里親のイメージ 里親と聞いてどのようなイメージを持つでしょうか。 捨てられた子供を育ててあげる優しい大人でしょうか。 子供の安心できる生活を守っ

          里親に差別されいじめられた話

          児童相談所での1日のスケジュール、幸せなこと、性的な話など

          前編はこちらの記事で。 1日のスケジュール 児童相談所での1日のスケジュールは以下の通りでした。 06:00 起床 06:30 外をランニング、ラジオ体操 07:00 朝食 09:00 授業開始 12:00 昼食 13:00 自由時間 15:00 おやつの時間 18:00 夕食 19:00 おやつの時間 21:00 就寝 小学生未満は授業がなかったり、学年で就寝時間が異なったりと、年齢によってスケジュールに違いがありました。 基本的に施設の外に出ることは許されないので

          児童相談所での1日のスケジュール、幸せなこと、性的な話など

          児童相談所へ入所した経緯、児童相談所の間取り、脱走したら、、、など

          無理心中に巻き込まれ、児童相談所に通報されるまでの話は前回の記事で。 児童福祉司との出会い 母親に殺されかけた私は、その後すぐに学校に通い始めました。 首を締められたせいで顔に目立つ内出血の跡がありましたが、周囲の気遣いでそのことには触れられませんでした。 そして小学3年生の6月、いつも通り教室にいると担任の先生に職員室へ呼ばれました。 職員室に行くと、校長室へ行くように言われました。 校長室へ行くと、学校の近くの公民館のような施設に行くように言われました。 先生達に

          児童相談所へ入所した経緯、児童相談所の間取り、脱走したら、、、など

          母親に虐待され、児童相談所に通報されるまでの話

          母が病気になり、私を連れて家出した話は前回の記事で。 新しい生活環境 当時7歳だった私は母に連れられ、母の親戚の持っている空き家に住むことになりました。 小学校も転校となりました。 母親は精神科に入退院を繰り返していたため、母方の祖母や叔父に世話をしてもらうことが多かったです。 育児放棄 母親はたまに精神病棟から退院してくることがありました。 しかし病気が治っているわけでは無いので、一日中寝たきりでした。 私は自分でご飯を作るしか無いので、適当に自炊していました。 学

          母親に虐待され、児童相談所に通報されるまでの話

          祖母の嫁いびりで家庭が崩壊した話

          母が200万円で買われた経緯は前回の記事で。 祖母の嫁いびり 祖母は母のことを「子供を産む機械」として200万円で購入しました。 祖母は母が妊娠するまで毎日電話で子作りの催促をしていました。 そうして生まれたのが私です。 私が生まれると兄弟を産むように指示し、弟が生まれました。 私と弟が生まれると、祖母は母に「もう実家に帰っていい」と言いました。 更にこれ以上子供が増えないように、母親に避妊手術を受けることも要求しました。 普段の生活でも、祖母は母の生活に勝手に介入して

          祖母の嫁いびりで家庭が崩壊した話

          私の母は200万円で買われた~私が生まれる過程の話~

          この記事は、私の両親が結婚に至るまでの経緯をまとめたものです。 父について 私の父は自衛官です。 そして病気を持っています。アスペルガー症候群と双極性障害です。 冗談や例え話が全く通じず、真面目に言われたことを守ります。 この特性によって、仕事では出世していました。 しかし恋人はおろか友人さえおらず、30を過ぎて結婚の予兆はありませんでした。 母について 私の母は定職に就かず、20歳まで兄弟の仕事の手伝いをしていました。 母親は貧乏な11人兄弟に生まれ、父親から虐待を

          私の母は200万円で買われた~私が生まれる過程の話~

          大企業の障害者雇用に就活して内定をもらった話

          ITエンジニアが嫌になり転職を目指す過程は前回の記事で。 転職先の条件 今回は障害者雇用枠への転職となりますが、転職先に4つの条件を求めました。 それは ①特例子会社では無いこと ②大企業かつ有名企業であること ③障害者にも健常者と同じように成果を求めること ④学歴不問であること です。 なぜこれらの条件を求めたのか、1つずつ解説します。 ①特例子会社では無いこと 特例子会社とは、障害者の雇用を促進し、安定を図るために、親会社によって設立された子会社のことを指します

          大企業の障害者雇用に就活して内定をもらった話

          ITエンジニア正社員なのに、リモートワークだからサボった話

          ITエンジニアとして就職するまでの過程はこちらの記事から。 研修期間 入社後は、業務に就くための技術を学ぶ研修期間があります。 基本的にはリモートで行われました。 同期に負けたくないという思いから、必死に勉強しました。 基礎的な言語と、データベース関連の知識が身に付きました。 忙しい時期 いよいよ働きはじめるわけですが、仕事には忙しい時期と暇な時期があります。 忙しい時の1日のスケジュールはこんな感じです。 09:00 起床 09:30 仕事準備 10:00 リモ

          ITエンジニア正社員なのに、リモートワークだからサボった話

          IT業界未経験の障害者が病気を隠して就職した際の、就活の話

          IT業界へ就活するまでの話はこちら。 ITエンジニアを目指した理由 私は高校も大学も情報系の学部で、プログラミングには抵抗がありませんでした。 さらに、「ITエンジニアならリモートワークで働けるのではないか」という思惑もあり、ITエンジニアを目指しました。 クローズで就活する理由 障害者の就職には、障害のあることを企業に開示して就職するオープン就労と、企業に非開示で就職するクローズ就労があります。 私はクローズを選択しました。理由は ・オープンで未経験ITエンジニアの

          IT業界未経験の障害者が病気を隠して就職した際の、就活の話

          職業訓練校を3週間で辞めた話

          職業訓練校に入学するまでの過程はこちらの記事から。 障害者である私と職業訓練校 職業訓練校とは、転職を考えている人や失業中の人が、再就職を目指して技術を身に付けるための施設です。 障害を持ちながら、それを隠し一般枠で働きたいと考えていた私は、職業訓練校に通うことにしました。 コース選び 職業訓練校には、介護、設計、事務などの様々なコースがあります。 私は学生時代にプログラミングの大会に出るなどしていたため、「Webデザイナーコース」を志望しました。 htmlやcss、

          職業訓練校を3週間で辞めた話

          就労移行支援を受けてすぐに辞めた話

          就労移行支援を受けるまでの過程はこちらの記事から。 就労移行支援の種類 就労移行支援については様々な区分ができますが、今回は「区が運営する就労移行支援」と、「その他団体が運営する就労移行支援」に分けてお話します。 就労移行支援を紹介された経緯 大学病院の精神科に通院し始めて半年ほど経った頃、カウンセラーの方から就労移行支援事業所を何箇所か紹介されました。 今後の就職の支援をしてくれるとのことだったので、無職だった私はとりあえず見学に行くことにしました。 民間の就労移

          就労移行支援を受けてすぐに辞めた話