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【ヴィパッサナー瞑想研修 体験記】

10日間、誰とも話さない、誰とも目を合わさない。
スマホは事前に保管され、活字は読まない書かない。
毎日4時に起床し、夜の9時に就寝するまで、
食事・シャワーなどの時間を除けば
基本的には目を閉じ坐し瞑想をしまくる…

もの凄い非日常的な体験の10日間を、
この忙しい年度末の最中、
キャンセルが出たという知らせを受け迷いに迷った末、
マインドフルネスの源流でもある
ブッダがやっていた瞑想・ヴィパッサナー瞑想の、
千葉の瞑想センターで行われた10日間コースに、
思い切って参加してまいりました。

スタートからの数日は、
いつどのように途中キャンセルを申し出ようか…という思いが、
何度か頭を過ぎりましたが、
ヴィパッサナー瞑想の本格的な方法を学んだ4日目以降からは、
瞑想へ入り込んでいく事が日常化・デフォルト化していった気がします。

最初の2日間程は、
これまでの過去の苦しかった生きづらかった体験や記憶の、
凝縮されたイメージのエッセンスみたいなものが、
瞑想中に何度も立ち現れ、夢も強い悪夢のような感覚のものばかりで、
とてつもない息苦しさと厭世観を覚えたのですが、
この反応もどうやら瞑想を体験していくプロセスでの、
織り込み済みの現象のようです。

中盤から最終日までは、
言語的・非言語的、その混在だったり映像や造形のようなものだったり、
音のようなものだったり…
自己内対話と身体が微かに語る声にひたすら感覚という耳を傾け続けます。

その時間が深まるにつれ、
自己の身体を借りて表出してくる“自己内他者”の存在を、
徐々にメタ的に感じることができるようになってきます。

目を開けた時、自分がこれまでいかなる声を上げようとも
無視し続けてきたであろう身体感覚(自己内他者)は元より、
外でさえずっている鳥や葉を重ね合わせて音を奏でている木々や、
風や土や非言語的に存在する全ての自然・存在が、
業にまみれたこんな私でさえ、
愛おしく「幸せであればいいのに…」という
作為性が一切ない利他的な思いとして、
自然と芽生えてきていることに気づかされます。

なかなか実感している感動や思いを、
上手く言語では伝え難いですが、
本当に特異で稀有な体験の10日間を過ごしました!
すぐに俗世の鈍感な日常的感覚に飲み込まれてしまいそうですが、
ここ最近は、ウクライナへの祈りにも似た感覚を含めて、
日常化して瞑想を続けています。

来年度は、
アート的な要素と瞑想を絡めたWSも、
ささやかな自分の事業として構想できたらな…とか考えたり。

ご興味が少しでもある方、
心の底から自信を持って言うことができます。



本当にオススメです!

https://www.dhamma.org/ja/schedules/schadicca

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