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根性

私は両親から「武士かな?」というほど厳しく育てられた。

特に父はこの世で一番怖い生き物で、私はよく「助けてもらうのを待つな!何でも自分で考えて自分で何とかしろ!甘えんな!」と叱られた。
「たったひとりの愛娘、普通かわいくて仕方がないもんでは?」と思っていたが、そんな事は口が裂けても言えず、両親から可愛い可愛いされている他所の一人っ子を見ては、「はん!良い御身分ですなあ!」と蛇のような目で見ていた。


中学2年の頃、当時ハンドボール部に所属していた私は、練習中に倒れてきたゴールの下敷きになり、右足首を剥離骨折したことがあった。
怪我自体大したことはなかったものの、人生初めてのギブスと、同級生が深刻そうな心配メッセージをよこす事にかなり興奮し、私は医師から「剥離骨折やね〜」と言われた瞬間から、父がどれほどチヤホヤしてくれるのかを想像しては胸を高鳴らせていた。
これまで一度も「車で送り迎え」というものをしてもらったことがなく、どんなに帰りが遅くとも、ペーパードライバーの母が徒歩の私を徒歩で迎えに来るという不当さだった。母はよく「お母さんが夜道1人で歩くことは誰も心配してくれへんのな」と拗ねていたものだ。
そんな父も流石に娘が骨折したとなると、車で送り迎えをするしかないであろう、8割がた決まったも同然であった。

「もう一方の足使えんねやろ、自転車で行けや」

私は翌朝いつもより30分ほど早く身支度をし、襷で背中に松葉杖を背負い、家を出た。
小6の時に両親に買ってもらったショッキングピンクの自転車を、ギブスの硬い足裏で漕ぎながら「どうしてそうなる」と考えていた。
松葉杖が取れる数ヶ月間、私は毎日松葉杖を背負ってこの茶色い町を走るのか。
こんなことなら意地でも骨折なんてするんじゃなかった。
脳内では、診察時に医者から言われた「あんなおっきいもん倒れて来て剥離骨折って、お嬢ちゃんどんだけ骨強いの」というセリフと共に、後ろで一緒になって笑う若いナースへの「何がおもろいねん」という憤りが湧いて出ていた。八つ当たりである。

学校に着き、友人に「チャリで来た」と伝えると、友人は「流石やわ」と手を叩いて笑い、私は何がどう流石なのか問いただしたかったが、あまりに楽しそうに笑うので取り敢えずは止めておいた。
友人は、予約しておいた風呂が沸いたように笑い止むと、今度は「今日の50m走測定できひんな」とどこを見るでもなく呟いた。
そうだった。
今日の体育は丸々50m走であった。
年に一度の50m走タイム測定。
果たして去年の自分を超えられるのか。
陸上部ですらないのに、私のメンタルは一丁前にアスリートであった。
私はこれまた取り敢えず「せやなあ…」と呟くと、体は勝手に体操服に着替えていた。

先生が吹くホイッスルと共に、3人が走り出す。
私はレーンの脇で松葉杖と共に座っていた。
つまらん。
高い学費を払って、何が嬉しくて素人の走りを眺めなくてはならないのか。
それに動いていないと体が冷えて仕方がない。
体操服の半ズボンから伸びるギブスのカチカチを爪弾きながら、松葉杖のステンレスに触れると寒さが増す。ならそんな事をするなという話なのだが、それ程暇なのである。
私は健全な方の脚を眺めながら、「お前走れるんじゃないか?」と思い始めていた。
走れるだろう、というか走らんかい。
怪我をして暫くの間お前が頑張るしかないんだぞ、怪我をしていても走らなければならない場面に見舞われるかもしれない、その為の良い練習ではないか、何をこんな所で座っているのか。
だんだん腹が立ってきた。

「先生、走りますわ」

「走んの」
「松葉杖でも測定できますよね」
「怪我せんといてや」


「もうしてるし」という言葉を飲み込みながら、私は案外あっさりと要求が通ったことに、良い学校に入ったもんだ、と再確認した。

ひとり松葉杖でスタートラインに立つ。
実際走るとなると、どちらの足が前もクソもないことに気が付き、私はサバンナを駆けるチーターを想像することにした。

クラスメイト全員が見守る中、
ホイッスルが鳴った。

両手を前に出し、反動で下半身が前に振れる、そしてまた両手を前に出す。
もっと速く!もっと速く!
そう思えば思うほど、松葉杖で脇が割れそうになる。
脇が割れる!脇が割れる!脇が割れる!
後半は脇が割れたくなくて、ひたすら両手を前に出していた。

「ゴール!」

ゴールと同時に、初めてみんなが声援を送ってくれていたことに気が付く。


「タイムは!」

「11秒5!」

「「「速過ぎるやろ!」」」

クラスメイトが私よりも先にそう叫ぶと、笑いは漣のように広がっていった。

「今たぶん世界で一番松葉杖の人の中で足速いわ」
「松葉杖で足速なってどうすんねん」
「間違いない」
「遅いよりはええやろ」
「そりゃそうや」

友人とそんな1円にもならない会話をしながら、完走後冷静になった私は内心ゾッとしていた。
ちょっと待ってよ。
松葉杖で50m走?正気じゃないよね?
何が私をそうさせたのか。


根性だ。


こんな不毛な根性を父親に植え付けられた。
頑張らなくても良い所でこんなにも頑張ってしまう人間になってしまった。
以前、父は「お前は遅くにできた子やからな、それにひとりっ子やし、お父さんもお母さんも先に死ぬ、その後ひとりじゃ何もできひ〜んとかいう女になられたら困るねん」と言っていた。


こんなに立派に育ちましたよぉ!!!!!


私は秋の高い空に心の中でそう叫ぶと、
再度松葉杖を背負い、そんな父が待つ家へとチャリを蹴った。
私はそんな自分の健気さに、人知れず涙が溢れた。







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