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ヤンキーとダブルス

悲しい話をするつもりはないが、私は生まれつき身体の関節が緩いらしく、特に右肩は、吊り革を握って車両がぐらりと揺れるだけで脱臼してしまう。
お医者さん曰く「ルーズショルダー」と呼ばれるものらしい、怖いほどにそのまんまである。


先日、布団の中で伸びをした瞬間、右肩がほろりと外れた。
慣れてはいるものの、やはりどこまで行っても脱臼は脱臼で、利き腕が言うことを訊かないというのは、痛みよりも恐怖が勝つ。
いつもの如く「ひーーー…」と情けない声を上げながら、関節を元の位置に戻してやると、冬の夜の静けさと、必死に握った二の腕の冷たさが相まって、私は堪らなく惨めな気分になった。

私の肩は、いつからこんな風になってしまったのか。

生まれつきとは言ったものの、やはり脱臼癖が付いてしまったのには、きっかけがある。
呑気に眠ろうとする脳を引っ叩いて、分厚いルーズショルダーメモリーを開いてみると、私はそのあまりの不憫さに、布団の中で一際小さくまるまるしかなかった。


あれは確か、中学3年生の体育の授業のことである。

私の母校では、体育祭とは別に、「球技大会」と呼ばれる球技に特化した肉体バトルイベントが催されていた。
とはいえ、競技自体はバスケットボール・バレーボール・バドミントンの3種のみで、それぞれの競技の部活に所属している者は、それ以外の競技の代表として参加しなければならないというものであった。
今思えば、「球技大会」と銘打っている大会に、バドミントンをチョイスするあたり、かなり球技というものを広義的に捉えている。

母校の辞書に「不参加」という文字はない。
生徒はそれぞれこの3競技の中から、出場する競技を1つ決めなければならず、前述した通り、部活動によっては2択ということになる。
しかしこれらの選択は、「私バスケが良い〜」「どれが一番楽かな〜」などといった個人的な我儘では許されない、これがシビアな点である。
大会というものは勝ってなんぼ。
なるだけ多くの勝ち星を上げるべく、まずは大会以前の体育の授業で、出場できる競技全てを全員が試し、各々の得意な競技を鑑みて、適材適所に振り分けられる。
仲良しこよしのチームなど不要なのである。

それはバドミントンを試す日のことであった。

まずはクラスの中から、バドミントン部の生徒を抜き取り、残りの生徒でダブルスを組むという手筈であった。(バドミントン部の生徒は、この間バスケのシュート練習などを行う)

「とりあえず…出席番号順で組むか〜」

がたいの割に喋るとのほほんとしているタッティー(体育教諭)が、これまた気の抜けた指示を出す。

それまで生ぬるい空気が充満していた体育館が、一瞬ヒリつきを帯び、カーストが低い生徒ほど脳をフル稼働させ、自分は誰とペアなのかを瞬時に叩き出す。私もその内のひとりであった。

「…はい、じゃあこことここ」

タッティーはまるで、ハンガーラックから今日着るジャケットを選ぶかのように、私と綾子の肩を無造作に弾き、その後も順に同様の素振りでペアを作っていった。

世の中のヤンキーというのは、2種類に分けられると思う。
積極的かつ好戦的に行動するタイプと、批判的かつ非協力的なタイプ、綾子は完全に後者に部類されるタイプのヤンキーであった。
一見前者に比べると、与える被害が少ない様に感じられる後者であるが、ことスポーツにおいては一味も二味も違う。
ダブルスにおいて片方が非協力的というのは、そもそも勝負に置いて不利であり、かといって私がひとり必死になって戦う様は、綾子にとっては格好の餌食となる。つまり、どちらに転んでも私にとって終わりを意味する。

私に残された道はただ一つ、
「クールな顔をして試合に勝つ」
これだけであった。

非情にも試合は開始した。

私の予想通り、綾子はラケットをそもそも持ち上げることもせず、私の後ろで腕を組んでニヤニヤと立っている。
聞き分けの良い私は、「はいはいそういうことね」と綾子を一瞥し、それなりの運動神経を片手に対戦相手へと挑んだ。
四方八方全てが私の守備範囲であり、開始早々心は折れかけたものの、幸か不幸か私の辞書に「負」という文字も無かったため、私は死ぬ気で戦った。

サーブ、スマッシュ、そしてそれを受ける。
そんな動作の繰り返しは、じわじわと私を疲弊させ、蝕んでいった、それでも私は諦めない。

そんな時だった。
相手の打ったスマッシュが、恐らくエリア内に落ちるであろう軌道を描き、私の頭上を超えていった。
後ろには腕を組んだ綾子しかいない。
つまり私が阻止するしかないやろが!!!
脳は瞬時に完璧な推理を行い、私はほとんど羽ばたくように飛び上がってそのスマッシュを打ち返した。

ごりん!

痛ーーーーーい!!!!!!!!!


私はあまりの衝撃に思わず蹲りそうになったものの、そんな様を見て笑っている綾子の顔を想像し、努めて平静を装った。
その間も心臓はどくどくと波打って、ラケットを握る右腕は意思に反してだらりと垂れ下がっている。
どう考えても脱臼していた。
しかし、早く立て直さなければラリーはまだ続いている。
ここまでして打ち返した球を無駄にはしたくない。
かと言って、綾子に頼ることは私のプライドが許さなかった。
私は決死の覚悟で意識を失った右腕を持ち上げ、元の位置を探した。
ぐりぐりと関節をかき混ぜるのは、想像通りの痛さを伴ったが、そんなことよりも私はこの試合に勝ちたかった。
もう一度確認しておくが、これは球技大会本番ではなく、ただの体育の授業である。

そこまでしたのに試合の結果はよく覚えていない。
あまりの痛さに意識が朦朧とする中最後まで戦い切った私は、とりあえずタッティーの元へと向かった。

「先生、腕外れました。」
「ええ!?」
「でも自分ではめました。」
「なんで直ぐに言わんねん!」
「試合中やったんで。」
「分からない。直ぐに保健室へ行ってきなさい。」

こうして改めて思い返すと、タッティーの言う通り、私にも分からない。
お医者さんによると、この時自分ではめたことが決定打になっているらしかった。

人生ちょっとした選択のミスで、その後の人生が大きく変わることもある。

だから最後にこれだけは言わせて欲しい。

今もし、肩が外れた状態でこのエッセイを読んでくれている人が居るなら、今すぐ保健室に行きなさい。

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