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お茶室という存在

茶道に少しでも興味ある方であれば、茶室というものがあって、そこに”躙口(にじりぐち)”という入口がある事をご存知の方も多いと思う。

茶室の外からは入りづらい、半畳もないほどの小さな入口である。
ここではお侍さんも殿様も刀を置き、立場の違いも越えて亭主の出す茶を平等にご馳走になるのが大切。とずっと以前歴史の先生が話されていて、そうなんだ、と思った記憶があった。

家元のお宅にも当然ながら茶室があり、躙口があった。そこで言われたのは、「この入口は何だと思いますか?」
「。。。え?名前でしょうか?」
「そうではありません。あなたは今どこに入っていますか?」
「茶室ですが。。」

先生は少し微笑まれて、
「そういう事を聞いているんじゃないのよ。想像力を働かせてごらんなさい。こうやって入る部屋はどこ?誰もが同じ存在で、心静かに感じられる場所よ」
「すみません。全然わかりません」

「そうねえ。ここは産道。あなたはお母様の産道を通って今子宮の中に入ろうとしているの。どんな偉い人でも、必ずお母さんのお腹から生まれるでしょ。何もない真っ暗な場所から。そこには当然、身分の違いもなければ、なんのしがらみもない。あなたがこの宇宙に生まれる前の状態から、世界を見ている気持ちになってごらんなさい。」

なるほど。。そう思うだけで心が洗われるような気がした。生まれてから今まで感じてきた様々な事、出来事、作り出した人間関係や、しがらみ、個性、好き嫌い。。そんなすべてを忘れて、自分が宇宙の中で、初めて存在したその瞬間に戻って世界を見たなら、身の回りにある一つ一つはどう感じるだろう。

茶室に入り、深呼吸して、自分の心の深くまで意識を沈め、改めて掛け軸や、そこに飾ってある花や小物、そして茶室の外から響く音、畳や木の香り、同室にいる人たちの息遣いや着物の擦れる音。そんな全てが初めての感覚として自分の肌に直接飛び込んでくる。

人の想像力は偉大だ。そしてそれを湧き起こらせる先生の言葉もすごい。

こうしてありきたりの日常は、まるで違う世界へと活き活きと変化をしていくのだと思う。

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