甘い生活
本当の幸せとは何なのだろう。
常に充ち足りていて、人生のあらゆる瞬間に幸福を感じているような人間はいるのだろうか。
先がないと知りながら続ける退廃的な関係に、この世の輝きを全て閉じ込めたかのような美しい人との出会いに、我が子のふっくらとした小さな手を握る平穏な時間に、幸福は訪れる。
そして、それが去りゆく時もまた一瞬である。
そして人は隣の人の幸福に、いつも心をすり減らす。
自分の幸福を、自分で認めることが難しい。
自分の手のひらにある幸福を、他人のものさしではからずにはいられない。
そして夜の闇に、静寂に、呑まれそうになる。
自分の人生の価値とは何だったのだろうか。
自分はずっと、ただ空っぽだったのではないだろうか。
美しい妻、利発そうで可愛らしい2人の子どもに囲まれて暮らすスタイネルは、周囲が羨む裕福で平穏な人生を歩んでいた。
だが、スタイネルの幸福はそこになかった。
教会でスタイネルが弾いたトッカータとフーガは、スタイネル自身とマルチェロの向かう先を暗示するかのように不気味に響き渡っていた。
エンマという、自分を心底愛してくれる女性がいながらもひとところに止まれないマルチェロ。
決して自分を1番には愛してくれない男の背中を追い続け、苦しめられながらも、スタイネルの築いた平穏な家庭に憧れるエンマ。
周りを見れば、豊かで、豪華で、美しく、満たされた人々がたくさんいるように思える。
そして、自分が今手にしているものが、周りの豊かさに、豪華さに、美しさに較べて劣っているのだと感じる度、気づかれないように肩を落とす。
だが、そうして生きていくほかない。
私にはそう思える。
まっさらな気持ちで他人の幸せを喜び、祝福し、自分の不幸や不運を嘆くことのない人間にはなれない。
ただ、その時に気づけたらいいと思う。
私の手のひらで感じたもののあたたかさや、かけがえのなさに。
そうでないと、全ての大切なものはとても簡単に手のひらからこぼれ落ちていくから。
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