見出し画像

わたしが水引作家になるまで(後編)

前編の文章からわたしがおしとやかな性格のように思われないかが心配で推考した文章なのですが、本来はとても活発で編み物をする時間は"最終的な余暇の過ごし方"的な解釈でお願いいたします(笑)



大学時代/大学ライフとレース編み熱

学生時代は編み物からかけ離れた体育学部の子ども関連の専攻だったので、クラスメイトたちは割りとその中でもふんわりしている環境だったことから、編み物をしていても違和感はなかったかと…思います。
(それでも変わっていたと思いますw)

学校まで1時間半かかったので、そこで少し編み物をしたり昼休みや放課後に勉強しながら息抜きで編み物…カバンの中にはいつも毛糸やレース糸にかぎ針が入っていました。

ここでしれっとレース糸が登場しましたが、20歳を機に毛糸からレース編みに転向しています。理由はもっと細かい作業をしたかったから(笑)

あまりにも作品がたまってしまい、ゼミの先生から『フリマやれば?』と勧められて文化祭で販売したところ、まさかの爆売れ…あとにも先にも"完売"はこの時しかないです😅

この時にふんわりと『いつか自分の作品を販売したいな』と描いていました。

社会人時代/仕事のストレス発散方法

そんなことを思い描きながらも、現実は『そんなの無理』と割り切って幼稚園の就職が決まり仕事人間へと変わっていきました。

早朝からサービス残業の日々でストレスの捌け口は金曜日の飲み会🍻(笑)
同期たちと愚痴り合いで発散していました。

土日も仕事の準備で好きな編み物をするのは僅かな時間となり、ハンドメイドから離れざるを得ませんでした。

結婚後/オンライン販売スタート

程なくして結婚を機に退職したわたしは、新たな環境化で専業主婦となりました。

実家暮らしだったこととこれまでの生活から一変することで慣れるためにパートは1年近くお休みすることに。

その生活に慣れてきた頃から編み物再開!!

働いていたときに出来なかったのもあり、爆発的に制作に励んでいました😅

そんなときにminneのサービスが出来立てホヤホヤでお小遣い稼ぎのつもりでオンライン販売をしました。

当時はハンドメイド販売サービスが発展途上だったこともあり、珍しがられてそれなりの収益になっていましたよ☺️


当時販売していた作品

新たなことへのチャレンジ、転機…

あれから2年…長女・次女を出産してからは手首の腱鞘炎により編み物を自粛して育児に専念しながらも、子ども用に洋裁や小物を手作りして楽しんでいました。

子ども向けのヘアゴムを制作していた頃


結局、ハンドメイドから離れられない生活をしていましたね(笑)

腱鞘炎で編み物が出来なくなり、新たなことにチャレンジしたいなと思ったときに手にしたのがアクセサリーキットでした。
今では当たり前に販売されていますが、当時は画期的で実は学生時代にチャレンジしようとしていたのですが、材料を集めると余剰分がかなり出ることから控えていたのです…そんなもんだから熱が暴発してあらゆるジャンルのアクセサリーを独学で習得しました。

パールアクセサリー、レジン、ビーズ、そして水引に出会い技法を覚えました。

そこからさらに2年…そろそろパート勤めをしようかとタイミングよく元職場から連絡があり、面接をしたのですが…条件に見合わず見送ることに。

これからどうするかと考えていたところ、少し広い新居の引っ越しで作業部屋を確保できることと、ある仕事の依頼により家族から『期限つきでやってみたら?』の一声で水引作家として活動をスタートすることとなりました。


書き出したら長くなってしまいましたが、わたしの人生の2/3はハンドメイドと向き合ってきました。
元は編み物をしていたこともあり、制作しているものはTHE水引と少し離れているところもあるかと思います。
そんな変わっているわたしの水引作家までの道でした🤗


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?