変わる事の難しさ

Amazon Prime Videoで「トレインスポッティング」を観た。1996年に公開された映画で、麻薬中毒の青年達の爛れた日常を描いたものだ。

勿論、日常と言っても、アニメの一大ジャンルにもなっている所謂「日常系」の和やかな雰囲気とは正反対だ。主人公は麻薬の幻覚症状で汚物塗れの便器に顔を突っ込むし、彼の仲間の一人は交際相手のベッドで脱糞したりする。麻薬に手を出してない仲間もいるが、そいつは火薬庫を擬人化した様な危険人物だ。

そんな汚れ切った生活から脱却しようと主人公が四苦八苦するのが、この映画の大まかな流れとなる。が、麻薬漬けの身体と駄目人間だらけの環境、そして本人の脆弱な意思では上手く行く筈もなく、更生は何度も失敗してしまうのだ。

「以前までの自分から変わろう」。主人公が何度も抱いていた感情もとい教訓は、漫画をはじめ様々なメディアで何度も目にする。しかし、それを見て「よし、変わろう!」と決心し、かつ実現出来た人は果たして何人いるのだろうか。

自分を変えるという事は、これまでの自分を捨てるという事でもある。昨日まで歩いてきたレールを外れるのは、相応の体力と勇気が必要になる。例えそのレールがどれだけ荒んだものであろうとも、そのまま歩き続ける方が楽なのだ。

また、実際に「俺は変わるぞ」と口にしても、その決意はあっさり揺らいでしまうものだ。 「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という言葉があるように、人は楽をしたがる生き物である。ふとした拍子に決意が揺らいで、元のレールに戻ってしまう事だって珍しくない。ちょうど「トレインスポッティング」の主人公がそうであったように。

だからこそ、行動しなければならない。気持ちだけで変わる事は出来ない。行動によって強い意志を日ごと思い起こしていかなければ、過去の自分の手によって元いたレールに戻されてしまうだろう。

人はそう簡単には変われない。だからこそ、本当に変わる事が出来た人の輝きは尊い。叶うのであれば、僕もそうありたいと願う。

……「自分の悪癖を変えたい」と先日話したばかりなのにこんな事を言い出すのはどうなのかとも思ったけれども、「ふと思った事をとりあえず言語化してみる」のが目的のひとつなので、そこは大目に見てほしい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?