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第109回歴博フォーラム「死者と生者の共同性 -葬送墓制の再構築を目指してー」の初日があまりに面白過ぎました(追記・誤記修正あり)

※一部の登壇者の方のお名前に当初誤記がありましたこと、心よりお詫び申し上げます。またフォーラムは16日にすでに終了しております

こちらのフォーラム、明日も当日参加が可能だそうです。会場は大隈講堂@早稲田大学です。ご興味関心のある方がいましたら、一部でもよいので、ぜひ参加されてみて下さい

■はじめに

今日の午後は、標題のフォーラムに参加してきました。内容があまりにも面白かったので、その内容と感想をご紹介させて下さい。こちらを読んで、明日行きたい!と思って下さる方がいましたら幸いです

こちらのフォーラム、「現代日本における葬送儀礼のゆくえ -生者と死者の関係の再構築を目指して」という科研費を用いたプロジェクトがベースとなっています。昨年は大阪の應典院さんにてこちらのプロジェクトのイベントが開催されました。今回は国立歴史民俗博物館が主催

とにかく日本の葬送墓制の変遷とその最新事情について、研究されている方々の知見と考察を知れることがポイントなんです。日本の葬送墓制についてこれだけ多様な方のお話が直接聞けるのは、おそらくこのプロジェクトだけだと思います

■感想の前に敢えて書いておきたいこと

ただその感想の前に書きたいのは、残念なことにこうした場にグリーフサポートや死生の課題や臨床に取り組む実践者の方々の姿を、ほぼ見掛けないことです。こうした方々にとっての興味や関心の対象は、自分の携わる支援や臨床に関わる実践的で、使える情報やノウハウなのでしょうね

ただわたしはそういう考えは全く持っていなくて

むしろこうした葬送墓制の現状や環境、その変化やバックグランドといったものは人びとの死生観と密接不可分の関係にあって。むしろ葬送墓制に現れるひとびとの価値観や態度を死生のサポートやケアとリンクし、実践にフィードバックしていく必要性があると考えています

実際に多くの方が、亡くなった方をどう弔えばいいのか。お墓や仏壇、そして遺骨や故人のデジタルデータをどう扱えばいいのか。かつてのようなみんながこうだからこうする、といった共通(暗黙)のルールが崩れていて。その一方で個が十分に確立せず家族観もいびつに残っている中で、みなさんが迷い、苦しんでいるように感じています

そしてその迷いや苦しみは、亡き人との関係を再構築していく上で障害にすらなっているとも感じられます

こうした点からしても、やはり日本人の死生観の現れである葬送や墓制。看取りや弔いを支える物理的なシステムがどのように変遷をし、いまどのような状態にあり。そしてこれからどこへ向かっていくのかを知ることは、とても大切だと思っています

■そして本日の感想

と、前置きが長くなりましたが、そんなことも感じながらのフォーラム参加。以下、各発表者の方々のお話の中から、気になった点をコメントさせていただきます

ちなみに今日のテーマは「無縁化の道程」

日本の葬送墓制が無縁化を遂げてきた経緯をみなさんが話して下さる…はずだったようなのですが。今日登壇された方々からはその繋がりがあまり感じられず… 苦笑

その点は読む前にご承知おきいただければ幸いです。以下、発表順でのご紹介となります

①位牌・墓標と葬送(早稲田大学人間科学学術院・谷川章雄さん)

谷川さんのお話は、近世から近代にかけての位牌と墓標の関係が中心。現代と違い、当時の位牌と墓標は形が非常に似通っており。現代のように位牌が魂の拠り所というだけでなく、お墓のミニチュアの意味も持っていたというお話は印象的でした
 
②両墓制の終焉と死生観(千葉商科大学・朽木量さん)

両墓制、つまり土葬をする場所(お墓)とお参りするお墓を分けている制度のこと。ちなみにその逆、つまりお参りと埋葬が同じ場所にあることを「単墓制」と呼ぶことを今回初めて知りました(不勉強ですね…)

ちなみに両墓制は、土葬制度の名残りでもあり。現在も、またつい10数年前まで、土葬を行っている地域についての解説でした。またその終焉が高齢化と過疎化の進展、それによる無縁墓地化を集落として防ぐことにあったという説明は、とても現代的だなと感じました

この他にも、埋葬地とお参りする地を物理的に分けたり。そうした場所分けに地域の神社(の場所)が少なからず関係していたなどとても今日深いお話を聞かせていただきました

③死者との社会構想あるいは妄想(ものつくり大学・土居浩さん)

ちょっと変わったタイトルに違わない土居さんの「納骨堂」についてのお話

井下清さんという東京で近代墓のスタイルを築いた方と。細野雲外さんという謎な方が著した「不滅の墳墓」の二つを題材に、どちらの方も昭和の初期の段階で納骨堂を推していたこと。そこから近代の墓制が形作られる中でも、エンジニアリングを活用しながら効率的に死者を埋葬するという考えを内包していたことを、説明して下さっていました

ちょっとお話が難しかったので、また土居さんの論文を読んでみようと思いました

④デジタル時代の弔い方(東京大学先端科学研究技術センター・瓜生大輔さん)

今日一番聞きたかったお話です。デジタルを使った弔いの最新動向を知ることが出来ました

弔いとデジタルは一見すると矛盾したものに見えますが、現実にも、自分は死んでもデジタル空間に自分の情報が残り続ける時代であること。デジタルやテクノロジーを持ちいて弔いのためのインターフェイスが様々に工夫がなされていること。海外では最新の技術を使って故人をデジタル上に残すだけでなく、再現すらしようとしていること。一方で日本では、弔い上げや先祖崇拝などの感覚や考えがまだ残っており、死者の再現や再生という方向には向いていかないこと、などをお話して下さいました

デジタル時代のお墓や墓制にひとびとが何を求めているのか。逆に求めていないのか。そうしたことを考えるきっかきになるお話でした

■感想のまとめ

ちなみに最後、東北大学の鈴木岩弓さん(明日午後登壇されます)の感想として、「どの発表にもドロドロした部分が見えなかったですね」には思わず納得。「墓制」と言ってしまうと、確かに制度やアイテムに目がいきがちになります。でもそこには、死者への想いや畏怖の念。悲しみやその受容のためのシステムが込められたものでもあるはずです。そうした点にも目を向けないと、実践者としはいけないですね

また、デジタルで故人の再現や復元が進むと、いつまでたっても死者の受容が進まないのではないか?という視点にも同じく納得。事実そうした事例があるという瓜生さんの追加のお話もあり、デジタル時代のグリーフサポートの在り方や、デジタルがお遺された人々に与える心理的、スピリチュアル的な影響もやはり忘れてはならないと感じました

明日わたしは午前中しか参加できませんが、とっても楽しみです。なお明日午後は、上記の鈴木さんや没イチ本を上梓された第一生命経済研究所の小谷みどりさんも登壇されます。お時間ありましたらぜひご参加されてみて下さい!

長文へお付き合いいただき、ありがとうございました

■12/16追記

二日目午前のセッションの感想も書きました
併せてご覧いただければ幸いです


デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています