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モンテッソーリ園と一般園の大きな差とは?✏️

こんにちは!ようこそ!allieです;)

突然ですが、<モンテッソーリ教育>って聞いたことありますか?

わたしは、現在”モンテッソーリ教師(3-6歳)”の資格を取得するために、国際モンテッソーリ協会(AMI=Association Montessori International)から認可された、日本の国際トレーニングセンターで学んでいます。

モンテッソーリ教育が行われている場としては、日本では、0-3歳・3-6歳用の保育園や幼稚園、子ども園が多く、それ以降の年齢に対応した学びの場が少ないのが現状です。
しかし、例えばオランダでは18歳までが通う中高学校(middelbareschool)にも、モンテッソーリ教育の学校が20校存在します。(参照:https://allecijfers.nl/scholen/montessori/)
(※オランダは、中高一貫の学校形態です。)

オランダは九州地方ほどの面積であるため、九州で考えると各県に2園は必ずモンテッソーリ教育実施の中高学校があるということになります。
各都道府県に2~3園のモンテッソーリ園があると仮定すると、一気に選択肢の一つとして”モンテッソーリ教育”とは何かについて真剣に考えるようになりそうですよね。

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モンテッソーリ教育は、
①日常生活の練習
②感覚教育
③言語教育
④数教育
という4分野を柱として構成されており、”異年齢構成のクラス”が特徴です。

ちょっと脱線ですが、異年齢構成って本当に凄いんですよ~!
幼児教育だと、3-6歳が同じ部屋で生活しますが、これが”社会性の発達”に非常に役立ちます。
モンテッソーリ教育をただの自由教育だと思われている方は、「自由すぎて、ほかの子どもに合わせられない子どもになるのでは?」と考えるかもしれませんが、結果はまったく反対です。

大前提として、モンテッソーリ教育を行う空間に「自由」はありますが、やりたい放題をしている子どもや、自分の衝動に支配されている状態の子どもは決して自由とは言えません。自分を制御できて初めて、「自由」が手に入ります。ここで、「自由」と「放任」が異なることはご理解いただけるのではないかと思います。また、上記の示す本当の「自由」が生まれるには「制限」が必要です。
日本国に「憲法」がなければ、日本社会は犯罪を野放しにする無秩序な空間になってしまいますよね。
モンテッソーリ環境でも同様に、グラウンドルールという制限(他者を傷つけない。自分を傷つけない。教室内は歩く。1つの教具は教室内に複数用意しないetc.)は設けられています。

そうして、秩序ある安心できる環境の中で、自己選択した活動に思う存分集中することが可能になるのです。


異年齢構成の話に戻りますが、小さい子は、大きい子をリスペクトし、大きい子は小さい子を優しく包みます。以下『子どもの精神』というマリア・モンテッソーリが著した本を引用します。

小さい子は大きい子のやっていることを見て、説明を求めます。大きい子は喜んで説明します。これが、ほんとうの授業です。5歳の子どもの精神性は3歳の子どものそれにたいへんに近いので、小さい子は、私たちが説明してやれないことを、5歳の子の説明で理解してしまうのです。子どもたちのあいだには、大人と小さい子どもとのあいだにはないような、調和と伝わりやすさがあるのです。」          
           『子どもの精神』p254, 9行目
 
「小さい子たちの場合には、ねたみは存在しません。小さい子は、自分にはできないことを大きい子がしているという事実によって、自尊心を傷つけられることはありません。自分も大きくなればできるようになる、と感じるからです。存在するのは、愛と称賛と真の友情です。
           『子どもの精神』p254, 28行目

本当に凄いな~と思いますね。「モンテッソーリ教育によって、自由奔放な子どもに育ってしまうのではないか?」という不安は、ここで完全に払拭されると思います。

また、よく考えれば、大学以降同い年の人間だけで構成される環境ってほとんど無いですよね!
人間が生きていかなければならない社会は、”異年齢構成”なんです。
・・・であれば、人間の”格”を構築する幼児期に、異年齢構成の環境に身を置くことは非常に重要だと思いませんか?
様々な人と関わることで”己”を創っていきます。
他者との関わり方を身に付けます。

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さて、モンテッソーリ教師になるには、①~④の分野のみならず、【発達心理学】を徹底的に学びます。
東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターの説明では、
『人生の特別な時期である幼児期の子どもたちの、心の安定・知的好奇心・主体性・自己肯定感・意志・自己規律・社会性を含む統合的な発達を援助できるモンテッソーリ教育者の養成を行います。』
とあり、「子どもとは何か。人間とは一体何か。わたしとは…?」と深くまで突く学びがあります。

人間の”素”のような子どもが、人間の特徴(二足歩行・道具を使う・文化・言語・社会性・知性・習慣etc.)を獲得し、確固たる”己”として立つためのサポートを行うのが、モンテッソーリ教育です。

人間はもともと完ぺきではありません。人間にはもともと欠陥があります。
しかし、各々ができる役割を全うすることで、パズルのピースがはめられていくように社会構築がなされていきます。

モンテッソーリ教育では、自分の興味を拡大し、探求することで、この地球という場所に生まれた身としての自分の役割を全うできるだけの自主性・積極性・決断力・集中力・慈悲・愛を育んでいくのです。

ただ単に、「頭のいい子に育てたい!」
「テストで点数の取れる優秀な子に育ってほしい!」
という安易な考えのもとに”モンテッソーリ教育”があるのではないということを、ぜひ知っていただけたら嬉しく思います。

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さて話は変わりますが、現在私は、学業のほかに非常勤保育士としてモンテッソーリではない一般の保育園(0-5歳児)で働いています。
(詳しくはコチラ↓)

「なぜモンテッソーリ園でないの?」
と思われるかもしれませんが、幼稚園出身の私は、一般の保育園を通じて、保育というお仕事、そして保育園の現状と課題を知るための社会勉強だと考え約1年働いてきました。

実際、モンテッソーリ教育を学んでいる身としては、トレーニングセンターを通じて行かせていただくモンテッソーリ教育を行っている実習園と、勤務園とのギャップにモヤモヤすることも多々あります。
その中で気づいた点について少し書きたいと思います。

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モンテッソーリ園は、上記のように、愛と知識を持って子どもの発達を全力で支える大人が環境に配置されています。
子どもには「自由」があり、子ども中心の場所です。
子どもが主体的に動くことが良いとされる空間です。

親が子どもを園に送り出すとき、「今日もたくさん体験しておいで〜楽しんでね〜」という方が多いように思います。

対して、一般の保育園は、親のための場所という印象が拭えません。
言い方を選ばないとすれば、家畜に餌を与えるかのようにおもちゃを渡されて、「1人1個!」、「順番が守れない人は使えません!」などと言われて、8時間以上保育園に監禁される子どもの気持ちを想像してください。

このような園に子どもを通わせる親の気持ちを代弁するとすれば、
「私はあなたを養うために働くので精一杯なんだから、とにかく時間をつぶしてきて!」もしくは、そこまで冷徹でなくても、「なるべく早く帰ってくるから、いい子にしててね!!」と、親の利己的な考えで子どもを保育園に送り出している場合が多いように感じます。

2つの間にはとても大きな差があり、
その差は子どもの心や言動に現れます。

余裕がある子と、ない子。
満たされている子と、そうでない子。
感情のコントロールができる子と、できない子。


実際に園に行くと、喧嘩の頻度が明らかに異なります。
全ての園とは言いませんが、一般の園だとあっちで喧嘩、こっちでも泣いて、一瞬目を離した隙にけが人がでるようなカオスです。

モンテッソーリ園で、私は喧嘩をほとんど見たことがありません。
物の奪い合いもほとんど起こりません。

凄くわかりやすいです。

環境の設定と、周りの大人がどう接するかでこんなに変わるんです。
だから、”幼児期の大切さ”をもっと真剣に考える大人が増えてほしいと心から思います。

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モンテッソーリ教育の生みの親である、マリア・モンテッソーリは、ローマ大学初の女性医学博士であり、同時に実験心理学者、教育者です。

そんな彼女の言葉にとてもパワーを感じるので、引用します。

愛とは、宇宙の意識が生物にあたえるすべてのものと同様に、ある決められた目的に即した贈り物として、特別の意図のもとに人間にあたえられたものです。したがって人間は愛を尊重し、発展させ、その可能性の限界まで増大させなければなりません。生物のうちで人間だけが、このあたえられた力を高め、ますます発展させることができるのです。その力を役立てるのが人間の任務です。まさにこの力が宇宙を統合している力だからです。
           『子どもの精神』p333


モンテッソーリ教育の輪、ひろまれ〜っ!💖

最後に、私はモンテッソーリ教育を学んでいますし、モンテッソーリ教育への信頼は厚いですが、必ずしもモンテッソーリ教育が唯一の正解とは考えていません。世の中には様々なオルタナティブ教育がありますし、そうでなくても、保護者の心持ち次第で子どもの心は大きく変化します。私自身、モンテッソーリ教育を受けて育ったモンテッソーリチャイルドではありません(笑)
ですが、全ての人に通ずる大切な精神をマリア・モンテッソーリは説いていると思います。今回の内容の1エッセンスでも、読者の方にとって有益なものになっていればとても嬉しく思います。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
また、モンテッソーリ教育についてご興味のある方がいらっしゃれば、お気軽にコメントかInstagramまでDMいただければと思います。

それではまた次回♡

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