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一枚の自分史:青春の光と闇を見守って

もう、二十年にもなる。2003年の1月1日、53歳、金剛山の山頂にいた。
娘と部活の仲間の友人と後輩が二人、そして初日の出を仰ぎに来られて偶然出会った部活の OB の方がご一緒していた。

この三年、年越しは金剛山の山頂にいる。
娘とSちゃんの二人が何か記憶に残る面白いことをやろうじゃないかと言い出した。それが元日のご来光登山を部活の道着で登るというものだった。いかにもこの二人が考えそうなことだった。固い綿の道着でいくら低山とはいえ冬山に無謀この上ない。山を知るものとしては看過できるものではなかった。でも、どこかで手を叩いて喝采している自分がいた。心配だからと反対したくない。いや、むしろ一枚噛みたたかったのだ。それで、装備をチェックして、それなりに不測の事態に備えることにした。ルートを知り尽くしているものが同行することは悪いことではない。しかも記録係ということで同行を許してもらった。親からのお墨付きをもらって、本人たちはお気楽なものだった。
軽い乗りで始めたことだから、初年度に、一度経験したら気が済むだろう、半端ない寒さに音を上げるだろうと思っていたら、以外にも三年続いた。
どう見ても、見ているほうが震えそうな格好でうら若い女子が氷点下の暗闇を上っていく。出会った人った人たちには、「お~!寒稽古か!頑張れよ!」二年目、三年目は「今年も頑張ってるな!」「よーし!○○大学か!頑張ってるな~」と口々に応援されていた。もう英雄気取りだから笑ってしまう。
三回目は勘弁してと、こちらの方が音をあげそうになったが、あの寒気の中を歩いて、山で朝陽が上がるのを待つのには無上の喜びがあった。結局は、娘たち以上に私は山が好きだったのだ。

この春には卒業をする予定だった。就職超氷河期で大変な就活を勝ち残ってなんとか広告代理店に就職が決まっていた。無邪気にはしゃいでいた。今から思えば、人生の荒波を味わう前の無垢な魂がそこにあった。
娘の人生を揺るがす大事件はそれから数日後に起こった。彼女は大失恋したのだ。卒業試験中に別れを伝えられて、拒食症状態になり2週間で7 kg 痩せた。この年頃の失恋は生きる死ぬの問題に発展することがある。卒業試験はしくじった。
心配した武道関係の各部の仲間達が、当番のように誰かが寄り添ってくれた。そのおかげで最悪の状態は乗り越えた。娘は、将来への約束を失い、卒業できずに、超氷河期を二年にわたって就活する羽目になった。

その一年後に逞しく成長を遂げるまで、まるで自分が失恋をしたような苦い日々だった。
暗闇の中から明るくなっていく、陽が上がる前の直前の最後の青さ、道中にかけられる賛辞の声や冷やかしの声や励ましの声、寒い中を歩いて辿り着いた頂上の大焚き火は火傷しそうに熱いのに背中はゾクゾクするほど冷たい感覚、おめでとうと言い交わし振る舞われる日本酒が喉を通る時の熱さ、それらの状態はまるで青春の光と影のようだなとふと思う。

親ができることは実はとても少なかった。見守ってきたように見えて、親として人間として大きく鍛えてもらっていた。実は母親になったのではなくて、母親にしてもらったのだ。そのことには感謝している。
人として自立している姿を最期まで見せるつもりではいる。そう思っている。だが、先のことは誰にも分らない。


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