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一枚の自分史:山日記「屋久島」

2010年9月24日
鹿児島空港に着いた。伊丹は抜けるような青空だったのに曇り空だった。
霧島連山にも曇り空がかかっている。
エアーコミューターはバスで移動。小さな飛行機だったが、全く揺れず
四国の山々を眼下に眺めながら快適な空のたびだった。
宿は安房のラ・イスラ・タセだ。

9月25日、屋久島2日目
増水のため、予定の白谷雲水峡(もののけの森)の規制がかかってしまう。
急きょ、地元の方のお薦めでヤクスギランドへ行くことにした。
ヤクスギランドとはネーミングが少々悪い。屋久島の自然を目当てに来て、そんな遊園地みたいな名前では行こうという気にならない。名前の割には評判は悪くないらしい。
雨が本降りになってしまう。気にならない、どんどん元気になっていた。
ペンションでご一緒になった、まちこさんとちなつさんと屋久杉のパワーをいただいてきた。
親切でおおらかなタクシーの運転手さんのおかげなのだが、その名前が「杉一森」さんっていうのは出来すぎだと思っている。

ここで取った写真には、もしかしたらて木霊なのか?自然光とフラッシュを同時に撮影するモードで撮った結果は多くの黒い水玉が写り込み、その黒い球体には目があるように見える。何枚かあったが、全く映っていないものもある。帰阪して、人に見せる度に歓声が上がる不思議な写真である。
思うことにした。これが木霊だと。

この夜は、若いちなつちゃんと真知子ちゃんと一緒に地魚料理の「いその香り」で夕食を採る。この日の一杯は地酒「自然林」で地魚のお寿司とともにいただく。

9月26日、屋久島3日目
前日は、雨で宮之浦岳も花之江まで、縄文杉も途中までしか行けない状態の中、ガイドさんに4時40分にお迎えに来ていただいて出発。
長いトロッコ道は冠水状態で、ウイルソン杉を経て、縄文杉まで降られっぱなしだった。
そんな中でもガイドさんの説明と、前日の自然館での予習が効いている。自然の素晴らしさと、悠久の時間をたっぷり楽しんだ。

縄文杉は大きい!大きなものに抱かれたような不思議な感動があった。
帰路に就く時に振り返って縄文杉が見える最後のお別れポイントで急にジーンとくる。帰りも、視座まで水につかりながら雨の中を帰った。
そして、疲れているはずなのに、やたら元気だった。5時過ぎにペンションに着いて、休むことなくずぶ濡れの着替えをどさっと洗濯して干してから、川向うの居酒屋に千夏ちゃんと真知子ちゃんと出かける。

居酒屋での三人は興が乗るほどにますます元気だった。隣には地元にしてはスマートな男性たちがいて、先生と呼ばれる人を中心に賑やかだった。
やがて話しかけられた。
「今日、どこまで行ってきたの」
私が縄文杉まで行ってきたというと、
「今日は通行禁止だったのでは、よく上まで行けたね、大変だったでしょう」
「はい。水の中をずいぶん歩きましたよ」
「それにしては元気ですね」
その先生と言われていた人は、どこかの大学の先生で、屋久島のエネルギー値が高いことで、訪れる人のメンタル値が上がることを研究しているという。他の二人は島の役所の職員さんとのこと、それで、横の女性たちの会話が気になったらしい。まさに私はいろいろ聞かれてモルモット状態だった。

「9時を過ぎたらお店を追い出されることになる。場所を変えよう」
ということになる。当然、これでお役御免かと思いきや、
「もう、電気が消えているけど、たたき起こそうか」
対岸の家、つまり泊っているペンションの隣の家の灯が消えているから起こして、呑もうと言う役所の職員さんたち。なんと、そこはペンションのオーナーさんの家だった。島の人たちの呆れるほどの開放的な関係性が垣間見えた。何種類もの焼酎を並べて酒盛りが始まった。無罪放免になったのは11時を廻っていた。
私は3時半から起きていて、9時間以上も山登りしている。しかも私は60歳だということがこの人たちは分かっているのか。確かに伝えているはずなのに。私がタフなのか、この島のエネルギーのせいなのか訳が分からなくなっていた。

その年、2011年3月15日に定年退職して、そのまま、フリーでマナー講師・キャリアカウンセラーの仕事をしていた。9月、「定年まで働いたのにご褒美あげていない」ことに気がついた。急遽、お休みをもらって、念願の屋久島に行くことにした。
急な話では誰も付き合ってはくれない。かなり久しぶりの一人旅だった。
でも寂しくなかったし、あの張り付いてくるような寂しさもなかった。

離島感が欲しくて飛行機を避けて船を使った。上陸した途端、「また、きっと来る!」そう思った。
港で、島内バスを小1時間待った。全く退屈ではない。その間に誰かとこの高まりを共有したくて、話せそうな友人に片端から携帯で電話をかけた。その時の様子を「何てハイテンションなんだ」と思ったと、後日、友人たちはが口を揃えて言った。
顧みて思う。屋久島のパワーは半端ない。ここでは疲れるということがないのだ。

美味しい食事といつでもいただける旨いコーヒーと24時間入れるジャグジーと素敵で可愛いマダムのおもてなしのペンション「ラ・イスラ・タセ」だった。
オーナーの経営するスーパーでそのころは地元以外では買えなかった焼酎「三岳」を箱買いして家に送ってもらった。いつの間にか私はオーナーの親戚になっていて、それからはいつでも送ってもらっていた。オーナーは藤原さんだった。

9月27日、屋久島最終日
翌朝、宮之浦港まで赤のジャガーで送っていただいた。一生乗る予定のなかったジャガーだった。なんて贅沢なんだろう。
帰っても、すぐにでも島に舞い戻りたくなった。「ただいま!」と帰りたい。
藤原オーナーはご健在だろうか。ジャガーはまだ駆けているのか。どちらも元気でいていただきたいが、どちらもかなりのご高齢。
あれからすでに15年弱、時は飛ぶように過ぎた。タフだった私とてすでにいない。


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