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先生と言われるほどの馬鹿でなし

先生より先生らしい

昔、ある趣味のコミュニティの仲間に、元教師という高齢男性がいた。
その方は元教師であり、高学歴。そして惜しみなく知識を披露するので、当然のように皆は彼を「先生、先生」と呼んだ。そのコミュニティの中でも最高齢ぐらいだったのもある。
先生と呼ばれるその方が、あまりにも先生らしくて、私は思わず「ほんと、先生、って感じですよね〜」となんの気無しに言った。

すると、その方は、
先生と言われるほどの馬鹿でなし」。
とおっしゃった。
このことわざを知らなかった私は?だったけれど、後で調べると、
先生と呼ばれていい気になっている人を揶揄したり、敬意を持たずに先生と呼ぶことへの批判を指すらしい。

確かに、先生、先生、とおだてながら、陰で馬鹿にしているようなケースは多々見受けられる。(社長、などの呼称はそれに近い気がする)

先生と呼ぶ先生も先生

過去に、家族全員が医療関係者というお宅のホームパーティに行ったら、親戚同士で「〇〇先生」「△△先生」などと呼び合っていて、ものすごく異様な感じがした。お医者さんはどこに行っても先生と呼ばれるのだろうか。
なんだか親戚同士なのにとてもよそよそしい。

医師、弁護士、代議士、教師…なんだか堅っ苦しくて私からは縁遠い職業だ。
彼らは先生とよばれることによって、重要な職業に就いているという自負や自尊心を喚起し、モチベーションにして責任や重圧のかかる仕事についているのかもしれない。

先生より寅さん

私は、自慢しいなところがあって、それが自分で大きな欠点だと思っている。

知識や経験値は自分の中に秘めていたい。
なぜなら、知識をひけらかして自慢げにしている人ほど野暮なものはないと思うから。

むしろ「あいつは馬鹿だね〜」と言われながら愛されたい。
フーテンの寅さんのように。
いや、できれば、旅に出る寅さんとの別れ際にくしゃくしゃの千円札を渡す妹・さくらになりたい。
(と言っても、この映画の存在を知っている人はもはや少ないのかもしれないが。「男はつらいよ」という、昭和の日本を代表する映画シリーズです。主演:渥美清、助演:倍賞千恵子)

つまり、馬鹿を罵ったり、教え諭したりするのではなく、自分を含めて馬鹿や無知を受け入れることができる人になりたいのだ。
馬鹿や無知は受け入れるだけでいい。導いてくれなくても、己を知るだけでいい。

寅さんだって、お金も学歴もないし、ロクなことは起きないけれど、なんだかとっても、幸せそうだ。

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