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【翻訳】希望が真実を踏みにじるとき/Roger Scruton

 アポロはトロイの神官カサンドラに予言の能力を与えたが、彼女がアポロの誘いに抵抗したため、アポロは彼女を罰し、彼女の言うことを誰も信じないようにした。

悲観主義者の運命は、いつの時代もこのようなものである。
 誰もが同意していることが、実はひどく間違っているかもしれないという考えで仲間の陽気さを妨げる人たちは、狂人として排除されるか、愚か者として非難される。

 第一次世界大戦を引き起こした集団的熱狂、ボリシェヴィキを焚き付けた社会正義の新秩序への信仰、ヒトラーを権力の座に押し上げた民族統合への熱狂と、それと同時に武装化の努力を妨げた英国での「平和誓約連合」の勝利など、20世紀から得られたものだけを考えてみても、どんな緊急事態でも楽観主義が勝利し、破滅の予言者が押しのけられることを示している無数の例が存在する。
 
 いわゆる「アラブの春」でも、同じようなことが起きている。
 ショーペンハウエルの言う「不謹慎な楽観主義」によって、アメリカとヨーロッパ諸国は変化を受け入れ、その結果、チュニジアとエジプトではイスラム主義政権が誕生し、地域全体でキリスト教徒への迫害が強まり、シリアは完全に破壊され、ベンガジではアメリカ大使が殺害され、マリは不安定化し、終わりの見えない死と破壊が絶え間なく続いているのである。

 アラブの独裁国家が崩壊することで必然的に解き放たれる力について少しでも考えていれば、欧米の権力者たちは変化を是認することにもう少し慎重になっただろう。
 しかし、突然の緊急事態には楽観主義が働く。
 政治指導者は、自分に賛同してくれる人の中から助言者を選ぶが、これが民主主義政治の不合理さの最大の原因である。
 反対意見は、打ち負かされるべき「反対側」として現れるか、さもなければ、このようなコラムの中でしか現れない。
 少なくともトロイの陥落まで、アポロがカサンドラを神殿の中で守っていたように、我々の新聞は慎重な悲観主義者を守っているのである。

 私たちの時代の一つである同性婚について考えてみよう。
 同性愛者にも結婚を認め、生涯のパートナーとしての安心感を与えることができれば、これほど賢明なことはない。
 その結果、同性愛者への寛容さが改善されるだけでなく、同性愛者のカップルが確立された規範に適応することで生活が改善されるなど、あらゆる面での改善が期待できる。
 そのため、楽観主義者たちは団結してこの目的を推進し、よくあることだが、この目的に反対する人たちを迫害的な目で見て、不寛容で、「同性愛恐怖症」で、「偏屈」で、自由民主主義の原則に反している人たちだと見下している。

もちろん、楽観主義者は正しいかもしれない。
 しかし、重要なことは、彼らにとっては真実よりも希望の方が重要だということである。

 真実を知りたい人は、自分と意見の違う人を探すものである。対立する意見、厄介な事実、躊躇させるような根拠を探し回る。

 このような人々は、意地悪な偏屈者の戯言に惑わされることなく目的意識を持って突き進む楽観主義者よりも、はるかに複雑な人生を送っている。
イギリスでは、同性婚に関する議論は、制度を根本的に変えるのではなく、権利を拡大するための問題であるかのように行われている。
 社会的再生産における性差の役割、家族の性質、子供の感情的なニーズ、通過儀礼の意味など、難しい問題は無視されたり脇に追いやられたりしてしまう。

 振り返ってみると、災害の原因は根拠のない楽観的な考えから生まれたものであることがわかる。
 サブプライムローン問題は、1977年にカーター大統領が制定した「地域社会再投資法」に起因しているし、現在のユーロの危機は、各国が単一の法的通貨を共有しても、忠誠心や文化、誠実な会計習慣を共有することはできないと考えたことに起因している。

 アフガニスタンに責任ある政府を導入しようとした悲惨な試みは、民主主義と法の支配は、何世紀にもわたる規律と対立から生まれた貴重な成果ではなく、人類の既定の条件であるという考えに由来している。

 また、20世紀の政治の大失敗は、マルクス、レーニン、毛沢東をはじめとする、進歩が歴史の必然的な傾向であるとする多くの人々の非の打ち所のない楽観的な教義に起因すると言えるであろう。

 悲観主義は、後から見ると明らかに正当化されるが、それが発せられた時点ではほとんどの場合効果がない。それはなぜか。

 この種の問題に対する私たちのアプローチは、近年、進化心理学の影響を強く受けている。

 進化心理学は、人間社会が最初に生まれた状況において「適応的」であった性格や感情のパターンを私たちに与えていると説いている。
 そして、当時は適応的であったものが、私たち自身が作り出した大衆社会では大きく不適応になっているかもしれないのだ。
 狩猟採集民の小さな集団では、群衆に混じって疑う者を迫害し、敵に向かって明るく進むことが適応的であった。
 そして、これらの特徴から、真実が人々を落胆させる場合において、人々が真実を認識するのを防ぐという重要な目的のために、ある種の思考パターンが生まれたのだという。

 私は進化心理学者に全面的に賛成するわけではない。
 彼らは、文明がもたらした人間同士の付き合い方の変化に十分な注意を払っていないと思うからである。

 しかし、私は一つの点で彼らに同意している。
 それは、"真実"が、まさにそれが"真実である"ということで希望を脅かすとき、私たちは通常、それを追い求める人々とともに、"真実"を犠牲にしてしまうということである。


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