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「少女歌劇レヴュースタァライト」と「少女革命ウテナ」と「魔法少女まどか☆マギカ」

「少女歌劇レヴュースタァライト」のアニメが最終回を迎えた。寂しい。

毎週楽しみに観ながら「少女革命ウテナ」と「魔法少女まどか☆マギカ」を度々思い出していた。

「少女歌劇レヴュースタァライト」「少女革命ウテナ」と「魔法少女まどか☆マギカ」には主に5つの共通点がある。

1.クラスのみんなにはナイショだったり他の人に言っても信じてもらえなかったりする秘密の戦いが行われている
「少女革命ウテナ」は薔薇の花嫁をかけた決闘
「魔法少女まどか☆マギカ」は魔法少女とかつて魔法少女だった魔女との戦い
「少女歌劇レヴュースタァライト」のオーディションは歌いながら武器で戦う

2.戦うときに魔法少女に変身したり特に説明がなかったりして衣装が替わる
「少女革命ウテナ」は決闘場に向かうときに制服が変化
「まどか☆マギカ」は変身すると魔法少女のコスチュームに
「少女歌劇レヴュースタァライト」はオーディション会場に立つと制服が舞台衣装へ

3.戦いを主催している黒幕がいる
「少女革命ウテナ」は「世界の果て」を名乗る理事長がデュエリスト(決闘者)に定めた生徒会役員に手紙を出していた
「魔法少女まどか☆マギカ」はマスコットキャラクター的な位置づけのキュゥべえが少女の願いを叶えて魔法少女にしていた
「少女歌劇レヴュースタァライト」はキリンが選んだ少女のスマートフォンにオーディションへの招待が届く

4.主人公が黒幕に騙されている
「少女革命ウテナ」と「魔法少女まどか☆マギカ」の黒幕の本当の目的は中盤以降まで隠されている。
「まどか☆マギカ」では魔法少女になるデメリット、「少女歌劇レヴュースタァライト」ではオーディションで1位になれなかったものがどうなるのか中盤以降まで隠されている。

5.主人公が知らない間に戦いが何度も繰り返されている
「少女革命ウテナ」では黒幕が以前も決闘に招待する手紙を出していたことが語られ、最終回でも手紙を書いている。
「魔法少女☆マギカ」では時間を巻き戻す能力を持つ暁美ほむらによって同じ相手との戦いが何度となくやり直されていた。
「少女歌劇レヴュースタァライト」ではオーディションの勝者が望んだために同じ時間が何度となく繰り返されていた。

共通点を先に挙げたが、「少女歌劇レヴュースタァライト」が「少女革命ウテナ」や「魔法少女まどか☆マギカ」と違うところは数え切れないほど多い。

特に主人公・愛城華恋の描かれ方は「少女歌劇レヴュースタァライト」と他の作品との違いを際立たせているように思う。

「少女革命ウテナ」の主人公・天上ウテナは謎の舞台のような場所で行われていた決闘に巻き込まれ、黒幕に役割を与えられ利用され、舞台のような場所で行われていた決闘に決着がついた最終回で、まるで幕が下りた舞台から去るように物語から消えてしまった。

キリンが言っていた「舞台とは演じるものと見る者がそろって成り立つもの」をさらにメタに言い換えると「アニメのキャラクターは観客である私たちが望む限り戦いの舞台に立たなければならない」。

だからプリキュアに代表される魔法少女たちは代替わりを繰り返しながら時代を超えて戦い続けなければならない。

私たち観客の欲望こそが「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版「反逆の物語」で鹿目まどかが神様の座から引きずり下ろされ、悪魔になった暁美ほむらが崖っぷちで狂ったダンスを踊ることになったそもそもの因果―――という見方もできるだろう。

「少女革命ウテナ」は最終回で「ウテナが剣で刺されたのに怪我をした描写がない」ことで「決闘場で行われてたのは演劇だったのではないか」と一部で話題になった。天上ウテナが語り手の影絵少女に語りかけて「第四の壁(観客席と舞台の間に概念上存在する透明な壁)」を超える演出もあった。が、「少女革命ウテナ」は特殊な演出が多かったこともあり、天上ウテナが「自分は演劇の登場人物だ」ということをアピールした印象はほとんど残らない(強烈なアピールを感じる人がいたかもしれないが、私にとっては他の衝撃の方が強かったこともあり、この部分は「少女歌劇レヴュースタァライト」を観るまでほとんど意識できなかった)。

「魔法少女まどか☆マギカ」は鹿目まどかたち魔法少女がキュゥべえに観察されているという構造が最初のテレビシリーズから「反逆の物語」まで続いている。キュゥべえの目が画面に大きく映し出される演出が繰り返され、この構造を強調している。「反逆の物語」で暁美ほむらがキュゥべえをボロボロにして「自分たちを観るもの」を壊したが、鹿目まどかがそれを知ることはなかった。

「少女歌劇レヴュースタァライト」の主人公の華恋は最初から「舞台少女」であることを主張している。
「舞台の上で観られる自分」を自覚した上で「観られること」を望み、「観られること」を自分のパワーに変えている。
この点が、いつの間にか「鑑賞される被害者」にされていた天上ウテナや鹿目まどかとの大きな違いであるように思う。

呼ばれていないオーディションに飛び入りで参加し、舞台の幕が下りた後に「まだ始まってない」と宣言してまた飛び入り参加した、そういう愛城華恋だからアンコールの物語を作りだしそこで役をもぎ取るという、ある意味「第四の壁を超える」を超えることができたのかもしれない。

「少女歌劇レヴュースタァライト」で何度も繰り返されるイメージは「アタシ再生産」。
「魔法少女まどか☆マギカ」の暁美ほむらは自分の望む世界を得ようとして何度も時間を巻き戻した上に世界を書き替えたが、愛城華恋は自分を何度も再生産することによって周囲を変えていった。
主催者で黒幕で観察者だったキリンは、最後には完全に無力化されて愛城華恋と神楽ひかりの舞台の背景になった。

「少女革命ウテナ」で主人公の天上ウテナと姫宮アンシーから私が学んだのは「世界を革命するということは自分を革命するということ」だった。
「少女歌劇レヴュースタァライト」で愛城華恋と神楽ひかりが教えてくれたのは「自分の再生産は何度何度も行うことができる」だった。

「少女歌劇レヴュースタァライト」は「少女革命ウテナ」で主人公の天上ウテナが最終回で消えた後、長い時を経て「魔法少女まどか☆マギカ」を駆け抜けた観客たちのための物語という気がする。

少なくとも私は「消えたウテナはアンシーと巡り会えたんだ」という気持ちになったのですが、同じ劇場の観客だったあなたはどう思いましたか?

「ウテナはなぜ×××になれなかったのか」

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