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選ぶ「楽しさ」と「苦痛」・相反する気持ちの根源

選択することは、楽しいでも、面倒くさいことでもある。相反する気持ちが出てくるのはなぜだろうか?

選ぶ楽しさ:「自由さ」「自分らしさ」が根源にある(私の場合)

「選ぶことが楽しい」と感じられるのはどんな時か。私の場合は、持ち出すカメラに付けるレンズと交換レンズのどれを持ち出すか?といった組み合わせを考え、選ぶ時が一番に思い出されます。

どんな写真を撮りたいか、そんなことを考えながら手持ちのレンズから選択する。色々と考えてみる時間は楽しいものです。

この楽しさは何が根源にあるかというと「自由さ」にある。自分の手持ちのレンズから何を選んでもよいし、何個持って行くのも私の自由である。制約もない。お金がかからないというのも大事な点です。

さらには、その選択を通して、写真を撮ることが、「自由さ」と同時に「自分らしさ」にもつながるように感じられることも大事な点といえそうです。

選ぶ苦痛:「義務」「しなければならない」が根源にある

カメラのレンズ選択と違い、興味のない買い物などは、選択肢があればあるほど、面倒くさくて、苦痛になる。服や日用品の買い物などが私の場合それに当たります。

その結果「いつもと同じ物」ということで、選ぶ苦痛を極力下げようとしている自分に気づく。(だから売り切れの時がしんどくなる)

結局「義務」だったり、「しなければならない」ということに関わる選択は、苦痛や面倒になりがちです。

選ばないで、行動できるようにしてしまうのも一手

選ぶ苦痛を感じるようなものに関しては、極力ルーティンな「作業」にしてしまうのも解決策の一つになります。

あまりこういったルーティンな「作業」を増やし続けると、仕事や生活がつまらなくなってしまうが、むやみに増やすのではなく「選ぶ楽しさ」のあることは残しておき、苦痛なものだけ仕分けてして、ルーティン化して切り出してしまうというのは有効ではないでしょうか。



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