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VS上司!「ウンコ味のカレー、カレー味のウンコ」どっち食う論争

ランチ後は軽めに上司とディベートをする。
日々ハードなタスクをこなす我々に欠かせないブレインストーミング。
一種の言葉遊びだが、思考がクリアな頭で午後からの仕事にあたるための
できるビジネスマンの嗜み、というやつだ。

上司「お前ウンコ味のカレーか、カレー味のウンコ、どっち食う?」

古今東西、ありとあらゆる人間が議論し尽くしてきたこの論争。
どちらの立場にたったとしても苦境である絶望の問い。
じりじり間合いを詰め合うようなヒリつく緊張感。

迂闊に答えた途端、一足飛びで間合いを詰めた上司の怜悧な言論で
袈裟懸けにされるビジョンが目に浮かんだ。
心地よい迫力を感じながら慎重に答える。

「・・・カレー味のウンコっす。」

上司が告げる。

「わかってるんか?ウンコは、毒や。」

カレー味のウンコ派最大の弱点、「ウンコは毒」理論である。
そう、人間にとってウンコは毒。最悪なんかすごい菌に当たって死ぬ可能性もある。
初手から的確に急所を狙う突きをいなし、返す刀でこちらも切り出す。

「え?逆にウンコ味のカレー、飲み込めるんすか?」

息を止めたとしても脳が「これはウンコ味」と認識した瞬間、
食事としての認識を本能が拒むに違いない。
食うという一点に於いてウンコ味というハンデの大きさは計り知れないのだ。

食える、食えないではなく
「飲める、飲めない」にまで行動を絞ることで
上司は必然「飲めない」を選ばざるをえない。なぜならウンコ味だから。
その回答に至るまでの0.00001秒間にこそ活路がある。

「ウンコを毒たらしめてるのって、
ウンコを構成する物質の組み合わせの影響っすよね?」

「せやな。」

飲める飲めない論争から一気に思考の旅に出る。
鍔迫り合いの緊張から解放された腕が震える。

ウサギは朝、ウンコを食う。

どこで知ったのかわからないが
なぜか大体の人が共通認識としてウサギがウンコを食う事を知っている。
つまりウンコは食えないものではないのだ。場合によっては。

「カレー味に完璧に偽装できたウンコには毒性無くて、
それはもうカレーなんじゃないすか?」

至高のコーヒーを煎れるバリスタは
コピ・ルアクのことをウンコとは呼ばない。

そう、完璧にカレー味のウンコはおそらく、もうカレーなのだ。

「お前」

逆説的に、完全にウンコ味が再現されたカレーとは何であるのか。
上司は一瞬にして答えにたどり着いてしまった。

そう、完全にウンコ味を再現するためには必然、
ウンコを構成する成分を含む必要がある。
つまりウンコ味のカレーこそがウンコの可能性を秘めているのである。

「まあ俺どっちも食いたないけどな。」

「えっ、まあそうっすね・・・。」

「メール一通もけえへんな。」

「そっすね・・・。」

クリアに澄み渡った頭脳を以て
我々は今日も、動かないメールボックスと
鳴ることを忘れて久しい電話機を眺めていた。

この会社の【終焉】は近いのかもしれない。

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