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21世期の啓蒙 下巻 スティーブン・ピンカー著 書評

下巻に至って啓蒙主義の理念に基づき、世界中の我々自身が普遍的な共通理解として啓蒙主義の理念を持つべきだなと確信させてくれる内容でした。

「暴力の人類史」を「20世紀の啓蒙」とすれば、本書はまさに現代人と近未来人に向けた「21世紀の啓蒙」です。間違いなくお金を出して時間をかけて読むに値する名著だし、全ての人に読んでもらいたい。そんな感動的な読後感でした。

社会の虚構としての近代市民社会の原理とほぼ同じ概念である「啓蒙主義の理念」が世界共通の虚構として、いかにこの世界を進歩させてきたか?我々を不幸から救い、幸せに導いてきたか?そして今後も導いていけるのか?が本書を貫くテーマとなっています。

ところが啓蒙主義の理念は、多くの人(特に民主主義先進国国民)に内面化されていて無意識化され、啓蒙主義が果たしてきたこれまでの成果は、あまり意識されていませんし、よく理解されていません(だからピンカーは本書「21世紀の啓蒙」を著作)。

だからこそ、地道にひたすら「啓蒙主義」という理念に基づき国際ルール、社会制度・教育方法などを修繕し、維持し、その時代時代の言葉に編み変えて(ハイエク言)、その時代時代に生きる人々によって、相互に了解しつつ未来に引き継いでいくことが何より重要だというのです。

本当にその通りだと深く納得します。

本書によれば、第二次世界大戦後に戦勝国が「今度こそ戦争は勘弁」ということでナショナリズム重視をやめ、平和をどうやって目指したらいいのか、といった時に「誰もが納得せざるを得ない価値観=虚構」ってなんだろう、とあらゆる知識人(イスラムなどの宗教家も含む)を集めて、提案された権利のリストは、いずれも驚くほどに同じものだったといいます。

その誰もが共通理解したところの理念。それが国連の世界人権宣言になっています。

まさに「啓蒙主義の理念」そのものです。ソ連やソ連の属国ともいえる一部東欧、イスラムに忠実なサウジアラビアやアパルトヘイトの南アフリカは棄権したものの[この時点で中国は中華民国(台湾)で中華人民共和国は未成立(1949年成立)]、ほとんどの国が賛成に投票しています。

つまりそれだけ普遍的な理念だということです。

そして上巻に引き続き、科学者らしく「なぜ啓蒙主義の理念が世界共通のルールとして重要なのか?」そのための数字に基づいたエビデンスが「てんこ盛り」です。

では、どうやったら啓蒙主義の理念を引き続き浸透させていくことができるのか、綻びを修繕させていくことができるのか?についても、ちゃんとアイデアを提言しています(第21章:理性を失わずに議論する方法)。

以前紹介した「超予測力」の考え方も取り入れながら解説しています。

中でも興味深いのは、できるだけ「政治的信条」を避けると議論が円滑に行きやすいという点。これは実証実験でも証明されています。もしかしたら宗教も同じかもしれません。そして今流行のファクトチェックも解決策として重要とも。

法学者ダン・カハンによると「人が何らかの信念を肯定したり否定したりするのは、自分が何を知っているかではなく、自分が何者なのかを表明するため(第21章)」であって、例えばアメリカ共和党支持者の多くが気候変動問題に反対しているのは、気候変動問題が「本当に人為的な問題かどうか」は関係なく、共和党支持であることを表明したいがために反対しているというのが実際のところらしい。

ピンカー氏は、ここで「政党=信念への肩入れはスポーツファンの応援と同じようなもの」(認知心理学者らしいな)。

よくビジネスマナーとして「政治と宗教の話はビジネスではタブー」と言われているのも、これらが絡むとお互いの信頼関係や合意が破綻しやすい恐れがあるからではないかと思います。

とはいえ宗教や政治的信条に関わる問題が人間の生活社会の多くをカバーしているわけではありません。

ビジネスにおいても日々の生活においてもそれぞれの文化圏で生きていれば衝突するような場面は多くないし、仮に異宗教間でもマレーシアなどはうまく社会を回している現実もあります。そんなに悲観することはないのかなとは思います。

あなたの考えはさっぱりわからないし、わかりたくもない。けれどもあなたの考えはそのままで良いし、あなたを人間として尊重する(以下野本さん)」

フッサールの現象学を受け継ぐ竹田青嗣先生も「絶対的に正しい世界認識はないのだから社会を成り立たせるためには、信念対立を克服する必要があり、そのためのルール作りが必要。このルール作り以外に信念対立を克服する原理はない」

と提言しています。つまり世界認識の問題の本質はいかに「真理」を見出せるか、ではなくいかに「信念対立」を克服するか?ということなのです。

そしてそのルールが「啓蒙主義の理念」であり「近代市民社会の原理」。

スティーヴン・ピンカーによる科学的思考においても、竹田青嗣先生による哲学的思考においても、目指すべき方向は完全に一致していているし、私も納得せざるを得ません。

かといって、これらは社会規範や国際・国内ルール(日本国憲法も同じ精神)として皆がしっかり共通了解していればよく、日々の生活の中ではマレーシア人のようにしなやかに受け止めるという生活の知恵も必要かなと思います。

最後にピンカーの言葉「人間のたいていの状況下では十分に理性的」なので。


(本書におけるニーチェに対する否定的な考え方=ロマン主義的権威主義には同意しませんが、一方で彼の妹とその夫によるニーチェの著作を活用したナチスへの協力はその通りらしく、解釈の仕方としては致し方ないかなと思いました。そもそもピンカー氏は哲学専門家ではなく認知心理学者なので、ニーチェの本来的な考え方や近代哲学における認識問題はあまり存じ上げないのではないかと思います)。

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